慈恩寺。慈覚大師が天長年間に開山、坂東三十三ヶ所
慈恩寺の概要
天台宗寺院の慈恩寺は、華林山最上院と号します。慈恩寺は、第三代天台座主慈覚大師(貞観6年864年寂)が天長年間(824-834)に開山したという古刹です。歴代領主の庇護を受け、往事には本坊四十二坊新坊二十四坊を擁していたといい、徳川家康が関東に入国後の天正19年(1591)には寺領100石の御朱印状を拝領、寛文10年(1670)には東照宮(徳川家康)位牌のお供料として別途二十八石四斗九升を寄附されたといいます。坂東三十三ヶ所12番です。慈恩寺文書、南蛮鉄の灯籠は市文化財に指定されています。
山号 | 華林山 |
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院号 | 最上院 |
寺号 | 慈恩寺 |
住所 | さいたま市岩槻区慈恩寺139-1 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
慈恩寺の縁起
慈恩寺は、第三代天台座主慈覚大師(貞観6年864年寂)が天長年間(824-834)に開山したという古刹です。歴代領主の庇護を受け、往事には本坊四十二坊新坊二十四坊を擁していたといい、徳川家康が関東に入国後の天正19年(1591)には寺領100石の御朱印状を拝領、寛文10年(1670)には東照宮(徳川家康)位牌のお供料として別途二十八石四斗九升を寄附されたといいます。
新編武蔵風土記稿による慈恩寺の縁起
(慈恩寺村)
天台宗、東叡山の末、華林山最上院と號す、當寺古は坊舎塔頭も多く、天文年中太田源五郎資正より與へし寄附状に、慈恩寺は本坊四十二坊云々とあるにても、大手たりしこと知らる、今も境内廣く塔頭九坊あり、開山慈覺大師貞観六年正月十四日示寂、寺領百石の御朱印は天正十九年賜へり、按に寺傳に當寺は天長年中の草創にして開山慈覺大師日光山に登りし時、一の李實をもて佛法弘通の地に至て生ずべし、予其處にて法を弘めんと云て、彼李實を投ぜしかば、虚空を飛行し當所に落て芽を生じ繁茂せりと、この事は例の佛者の説にして信ずべからざれど、此地は昔より李樹多くして今も繁茂せり、故に華林山と號すと、又大師待こと久し、斯に毒龍のすめる地あり、人民これがために苦む、大師此患を救ひ賜へと云し所を逢山の原と唱ふと、此事蹟もいかがはあらん、傳ふるままを記せり、當寺に東照宮御位牌あり、寛文十年御供料として、二十八石四斗九升餘を御寄進ありしより今も替らず、又太田氏よりの文書一通を蔵す、其文左に出す。
武州太田庄慈恩寺者、本坊四十二坊、新坊廿四坊也、此内十八坊、或者破戒之徒、或者澁江家風之仁拘来、彼十八坊之事至于資正代改之、六十六坊皆以當寺江奉寄附實也、於子孫不可有違亂候、祭禮勤行等不可有怠慢、仍寄進状如件、
天文十八己酉年九月三日 源資正花押
慈恩寺衆徒中。
客殿。彌陀を本尊とす、外に不動を安ず。
開山堂。開山慈覺大師の像を置り。
鍾樓。寶暦四年鑄造の鐘を掛。
經堂。念佛堂。如法經堂。
観音堂。坂東の札所三十三番の内第十二番にして、昔の本尊千手観音は、慈覺大師の作にて立像なりしが、寛永の比焼失せし時、天海僧正比叡山より持来て安置す、則今の観音にて坐像なり、此堂元は塔頭櫻本坊の持なりしが、今は本坊の持となれり、堂前に燈籠あり、南蠻鐡にて礎石と笠石とは後に造りしものなり、左の銘を彫れり。(燈籠銘省略)
地蔵堂。閻魔堂。
毘沙門堂。本尊千手観音を安ず。
十二天社。本坊の北にあり、慈恩寺三村の鎮守なり。
上院権現社。観音堂の東方沼の端によりてあり、一に三社権現と云、神司三浦修理は當村の支配なり。
神明社。八幡社、山王社。愛宕社。辨財天社。宇賀神社。
二王門。
塔頭。遍照院。幡崎坊。閼伽井坊。寶光坊。櫻本坊。松井坊。東榮坊。池之坊。本願庵。(新編武蔵風土記稿より)
慈恩寺所蔵の文化財
- 慈恩寺文書(さいたま市指定有形文化財)
- 南蛮鉄の灯籠(さいたま市指定有形文化財)
慈恩寺文書
平安時代の創立と伝える慈恩寺は、坂東札所などとして広い範囲の信仰・巡礼者を篤め、さらに歴代の岩槻城主や幕府の保護を受けた古刹である。
当寺には岩槻城主太田資正の天文十八年(一五四九)の判物以下、五百十八点の古文書が伝えられている。内容は、寺領寄進状、慈恩寺法度等の幕府や岩槻藩の保護・統制に関するもの、寺院の組織・経営に関するもの、その他がある。
幕府や岩槻城主の寺院支配、寺院・寺領経営、寺領村落の様相などを知る上で貴重な資料群である。
慈恩寺には六十六もの堂塔があったが、戦国時代の混乱の中で、多くは慈恩寺の支配から離れてしまっていた。この文書は、岩槻城主太田資正が、慈恩寺の六十六坊支配を回復・確証したものである。(さいたま市教育委員会文化財保護課掲示より)
南蛮鉄の灯籠
この灯籠は、岩槻(付)城主太田氏房の家臣、伊達與兵衛房実が天下太平万民豊楽と、岩槻城安泰祈願のため天正十七年(一五八九)、慈恩寺観音へ寄進したものである。
灯籠の竿の部分に次の銘文がある。
銘文
扶桑國関以東武州路埼西郡岩付爰慈恩教寺者光世音大子古道場也
爰関東國元帥令弟北條氏房(さいたま市教育委員会文化財保護課掲示より)
慈恩寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」