掘の内神明神社。さいたま市見沼区南中丸の神社

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掘の内神明神社。さいたま市見沼区南中丸の神社

掘の内神明神社の概要

掘の内神明神社は、さいたま市見沼区南中丸にある神社です。掘の内神明神社の創建年代等は不詳ながら、観応3年(1352)に春日八郎行元が当社の北側に屋敷を有していたといい、古くより祀られてきたのではないかといい、江戸期には五反田神明神社南中丸八幡神社と共に中丸村の鎮守社だったといいます。明治40年大字中川の中山神社に合祀されたものの、昭和22年合祀を解消しています。

掘の内神明神社
掘の内神明神社の概要
社号 神明神社
祭神 天照皇大神
相殿 -
境内社 御嶽神社
住所 さいたま市見沼区南中丸746
祭日 -
備考 -



掘の内神明神社の由緒

掘の内神明神社の創建年代等は不詳ながら、観応3年(1352)に春日八郎行元が当社の北側に屋敷を有していたといい、古くより祀られてきたのではないかといい、江戸期には五反田神明神社南中丸八幡神社と共に中丸村の鎮守社だったといいます。明治40年大字中川の中山神社に合祀されたものの、昭和22年合祀を解消しています。

新編武蔵風土記稿による掘の内神明神社の由緒

(中丸村)神明社
五反田神明神社南中丸八幡神社と共に)以上三社を鎮守とす、共に村持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による掘の内神明神社の由緒

神明神社<大宮市南中丸七四六(南中丸字掘の内)>
南中丸の地は、大宮台地上に位置し、東・南・西の三方を見沼の低地に囲まれている。地内の字堀の内には、春日氏が居城したとの伝承をもつ館跡があり、「春日城」「中丸城」「堀の内城」などと呼ばれている。その在城年代は明らかでないが、浦和市中野田の明照寺の寺伝によると、春日八郎行元は観応三年(一三五二)九月十八日、軍功により足利尊氏から下文を与えられ、当地を領したということから、中世において春日氏一族のだれかが居住したものであろう。ちなみに館跡には春日氏の氏神であったと思われる春日社がある。
当社はこの館跡のすぐ南に鎮座しており、字台と字高井に居を構える旧家一四戸により祀られている。中でも駒崎一家(一族)の本家に当たる駒崎守三家(屋号・荒屋敷)は当代で一八代を数え最も古い。
当社の創建については、その立地から「春日城」に居城したとされる春日氏とのかかわりが推測される。また、駒崎家をはじめとする旧家の先祖たちが古くからその祭祀にかかわってきたものであろう。
明治二十五年に社殿を改築した。『明細帳』によれば、明治四十年に大字中川の中山神社に合祀された。しかし、実際は社殿はそのまま残り、祭りも従来通りに続き、昭和二十二年に至り合祀は解消された。
昭和三十九年には、社殿の屋根を草葺きから瓦葺きに替えたが、その経費捻出のため、境内の松の大木三本が伐採された。(「埼玉の神社」より)


掘の内神明神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)