上野田天神社。さいたま市緑区上野田の神社

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上野田天神社。染谷新田(新染谷村)・上野田字丸山の鎮守

上野田天神社の概要

上野田天神社は、さいたま市緑区上野田にある神社です。上野田天神社の創建年代等は不詳ながら、染谷出身の民が開拓した染谷新田(新染谷村)、及び上野田字丸山の鎮守として祀られ、元和2年(1616)の棟札が残されていたといいます。明治22年に当地は上野田へ編入され、明治時代後期の神社整理に際し、明治41年上野田氷川神社に合祀されています。(書類上の合祀に終わったのか、復祀したものか、境外末社なのかは不明)

上野田天神社
上野田天神社の概要
社号 天神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市緑区上野田
祭日 -
備考 -



上野田天神社の由緒

上野田天神社の創建年代等は不詳ながら、染谷出身の民が開拓した染谷新田(新染谷村)、及び上野田字丸山の鎮守として祀られ、元和2年(1616)の棟札が残されていたといいます。明治22年に当地は上野田へ編入され、明治時代後期の神社整理に際し、明治41年上野田氷川神社に合祀されています。(書類上の合祀に終わったのか、復祀したものか、境外末社なのかは不明)

新編武蔵風土記稿による上野田天神社の由緒

(新染谷村)
天神社
當村及び上野田村の内、字丸山の鎮守とせり、當社新に造立の棟札に、元和二年丙辰二月廿五日、足立郡野田村と記せり、今も上野田村接界の地にあり社なれば、元は野田にて勧請せしものにて、造立の年歴も推して知るべし、興音寺の持なり。
末社。稲荷社、三峯社、疱瘡神社。
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興音寺
新義眞言宗、大門宿大興寺門徒にして、梅松山神鏡院と號す、開山憲永天正元年十月九日寂す、本尊彌陀を安ず。 (新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による上野田天神社の由緒

氷川社<浦和市上野田七八(上野田字前原)>項
四十一年十一月には、同大字字東台の村社天神社とその境内社の稲荷社・琴平社・疱瘡社の三社を合祀した。(「埼玉の神社」より)


上野田天神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)