南方神社。さいたま市北区吉野町の神社

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南方神社。諏訪社に諸社を合祀、建御名方命に因む社号

南方神社の概要

南方神社は、さいたま市北区吉野町にある神社です。南方神社の創建年代等は不詳ながら、信州諏訪大社を当地字凉木(鈴木)に奉斎、諏訪社と称し江戸期には村の鎮守として祀られていました。明治7年字神山の氷川社・字鈴木耕地の天神社・字鈴木耕地の雷電社・字鈴木後の稲荷社を当地へ遷座、明治40年諸社を当社に合祀、主祭神の建御名方命(タケミナカタノミコト)より南方神社と改称しています。

南方神社
南方神社の概要
社号 南方神社
祭神 建御名方命、軻遇突智命、大雷命、倉稲魂命、手力雄命、金山彦命、火産霊命、木花咲耶姫命
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市北区吉野町2-25-4
祭日 例祭8月27日
備考 旧村社



南方神社の由緒

南方神社の創建年代等は不詳ながら、信州諏訪大社を当地字凉木(鈴木)に奉斎、諏訪社と称し江戸期には村の鎮守として祀られていました。明治7年字神山の氷川社・字鈴木耕地の天神社・字鈴木耕地の雷電社・字鈴木後の稲荷社を当地へ遷座、明治40年、大字吉野原字神山無格社の愛宕雷電稲荷合社と境内社八雲社・神明社・女神社、大字大谷別所字山王前の無格社八雲社、字神明無格社の神明社、字稲荷村社の稲荷社と境内社雷電・金山・竈神合社・浅間社を当社に合祀、主祭神の建御名方命(タケミナカタノミコト)より南方神社と改称、村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による南方神社の由緒

(吉野原村)
諏訪社
村の鎮守なり、不動院の持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による南方神社の由緒

南方神社<大宮市吉野町二-二五-四(吉野原字鈴木)>
当社は往古、信濃国諏訪大社の神を当地吉野原村鈴木に祀ったものである。主祭神は『明細帳』に「建御名方命」と載る。
境内にある手水鉢の銘文には「武州足立郡吉野原村字鈴木惣氏子中文政十三寅年(一八三〇)七月吉日」とある。これは寅と申の年、すなわち六年ごとに行われる諏訪大社式年造営の御柱祭に合わせて造ったものである。
別当については『風土記稿』に「不動院持ち」とある。不動院は、村内の真言宗清浄院門徒で、同寺住職の隠居寺であった。
造営については、嘉永年間(一八四八-五四)に社殿の改修が行われた。このとき本殿・拝殿の形式を整えるために、覆屋をの柱を一本切り取って本殿を外に出し、覆屋を拝殿とし、更に、参拝者の便に供するために唐破風屋根を付けた。平成三年三月には、御大典を記念し、氏子の浄財をもって当時の拝殿を残し、新たに幣殿と本殿を造営した。
合祀は『明細帳』によると、明治四十年五月二十二日、大字吉野原字神山無格社の愛宕雷電稲荷合社と境内社八雲社・神明社・女神社、大字大谷別所字山王前の無格社八雲社、字神明無格社の神明社、字稲荷村社の稲荷社と境内社雷電・金山・竈神合社・浅間社を当社に合祀し南方神社とした。この社号は主祭神「たけみなかた」に由来する。(「埼玉の神社」より)


南方神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)