柏崎久伊豆神社。さいたま市岩槻区柏崎の神社

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柏崎久伊豆神社。箕勾次郎経光の曾孫柏崎次郎為経が勧請

柏崎久伊豆神社の概要

柏崎久伊豆神社は、さいたま市岩槻区柏崎にある神社です。柏崎久伊豆神社は、野与党の一族箕勾次郎経光の曾孫柏崎次郎為経が当地を開拓、柏崎の西方の宮台に久伊豆大明神を勧請したと伝えられます。江戸期には村の鎮守として祀られていましたが、参詣に不便だったことから、村の中央に位置し、別当寺だった洞照院所有地だった当地へ天明6年(1786)遷座したといいます。

柏崎久伊豆神社
柏崎久伊豆神社の概要
社号 久伊豆神社
祭神 大己貴命
相殿 -
境内社 熊野神社、稲荷神社、浅間神社、愛宕神社、荒神・三島・第六天社
住所 さいたま市岩槻区柏崎771
祭日 例祭9月28日
備考 -



柏崎久伊豆神社の由緒

柏崎久伊豆神社は、野与党の一族箕勾次郎経光の曾孫柏崎次郎為経が当地を開拓、柏崎の西方の宮台に久伊豆大明神を勧請したと伝えられます。江戸期には村の鎮守として祀られていましたが、参詣に不便だったことから、村の中央に位置し、別当寺だった洞照院所有地だった当地へ天明6年(1786)遷座したといいます。

新編武蔵風土記稿による柏崎久伊豆神社の由緒

(栢崎村)
久伊豆社
村の鎮守とす、村民持、
---
荒神社
三島社
第六天社
稲荷社
以上四社、洞照院の持、
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洞照院
新義眞言宗、末田村金剛院末、瑠璃光山と號す、本尊薬師を安ず、 (新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による柏崎久伊豆神社の由緒

久伊豆神社<岩槻市柏崎七七一(柏崎字中組)>
柏崎は、武蔵七党野与党の一族である箕勾次郎経光の曾孫柏崎次郎為経という者がこの地に来て開いた村であると伝えられる。当社は、社伝によれば、柏崎氏がこの村の開発に際し、村の西方の宮台という所に祠を建て、野与党の守護神である久伊豆大明神を勧請したことに始まるという。
この話に伝えられる「宮台」は、現在「元産土」と呼ばれている辺りのことで、柏崎の中でも一番の高台に当たり、その側には柏崎氏の館跡もあるが、氏子集落(本田)からは離れていて参詣に不便を来していたため、天明六年(一七八六)に柏崎のほぼ中央に当たる洞照院のあった現在の社地に遷座した。ちなみに、この遷座の際には、村人全員で宮台から本殿を担いで来たと口碑に伝えられる。
また『風土記稿』柏崎村の項に「久伊豆社 村の鎮守とす、村民持ち、○荒神社○三島社○第六天社○稲荷社 以上四社、洞照院の持」と記されているように、当社は江戸時代には真言宗の洞照院によって管理されていた。洞照院は、神仏分離によって廃寺になり、今ではその遺構は何も残っておらず、本尊であった薬師如来も近くの円福寺に移されてしまっているが、当社の幟立ての北側にその堂があった。なお、現在の当社の境内のある辺りは、当社が宮台から移ってくるまでは、この洞照院の所有になっていた。(「埼玉の神社」より)


柏崎久伊豆神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)