多氣比賣神社。桶川市篠津の神社

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多氣比賣神社。延喜式内社に比定、旧称姫宮社

多氣比賣神社の概要

多氣比賣神社は、桶川市篠津にある神社です。多氣比賣神社の創建年代等は不詳ながら、第3代安寧天皇の代の創建とも伝えられ、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載される「多氣比賣神社」に比定される社です。江戸期には姫宮社と称し、篠津村の鎮守として祀られ、明治初年社号を多氣比賣神社と改称、明治6年村社に列格、明治40年五丁台字上耕地の稲荷社を合祀しています。

多氣比賣神社
多氣比賣神社の概要
社号 多氣比賣神社
祭神 豊葦建姫命、倉稲魂命
相殿 -
境内社 天神社、稲荷社、三峯社
祭日 例大祭3月15日
住所 桶川市篠津58
備考 -



多氣比賣神社の由緒

多氣比賣神社の創建年代等は不詳ながら、第3代安寧天皇の代の創建とも伝えられ、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載される「多氣比賣神社」に比定される社です。江戸期には姫宮社と称し、篠津村の鎮守として祀られ、明治初年社号を多氣比賣神社と改称、明治6年村社に列格、明治40年五丁台字上耕地の稲荷社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による多氣比賣神社の由緒

(篠津村)
姫宮社
當社は【延喜式】内多氣比賣神社にて、祭神は豊蘆建姫命なり、神體は女體にて十二單衣冠の坐像、本社の前に幣殿拝殿側に椎の大木二株あり、往古は一樹なりと云、何の頃にや枯て其朽たる根際二樹合して生ぜり、根の圍み二株合して二丈餘、又一樹は周徑一丈六尺餘、何れも古木にして神木とす、金剛寺の持、
末社。稲荷社、三峰社
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金剛寺
新義眞言宗、瀧馬室村常勝寺門徒、本尊不動を安置せり、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による多氣比賣神社の由緒

多氣比賣神社<桶川市篠津五八(篠津字下耕地)>
『延喜式』神名帳に載る足立郡四座のうちの一座「多気比売神社」に比定される当社は、篠津の集落の南に、赤堀川を望んで鎮座する。赤堀川を挟んで対岸は一面の水田となっているが、かつては「篠津沼」という大きな沼があった。篠津とは篠の生い茂った中の船着き場に由来するといい、祭神である豊葦建(竹)姫命を考え合わせるに、恐らくは篠や葦・竹の茂った付近一帯を領く女神を祀ったものであろう。
『風土記稿』篠津村の項に「姫宮社 当社は〔延喜式〕内多気比売神社にて、祭神は豊葦建姫命なり 神体は女体にて十二単衣冠の坐像(中略)金剛寺の持」と載り、江戸期、当社は姫宮社と呼ばれており、延喜式内社の多気比売神社に比定されていたことがわかる。しかし、吉田東伍氏は『大日本地名辞書』の中でこれを否定し、浦和市三室の氷川女体神社を本来の多気比売神社であるとしている。
別当の金剛寺は、真言宗の寺院で、社蔵の文化五年(一八〇八)の「姫宮大明神」再建棟札にも「別当金剛寺専教」の名が見える。
明治初年、当社は社名を姫宮社から多気比売神社に改め、明治六年に村社となった。同四十年大字五丁台字上耕地の稲荷社を合祀した。(「埼玉の神社」より)


多氣比賣神社所蔵の文化財

  • 多気比売神社と大シイ(桶川市指定天然記念物)

多気比売神社と大シイ

篠津の多気比売神社は、平安時代に編さんされた『延喜式』(延長5年[927]完成)の「神名帳」に名が載る足立四座の一つで、桶川市内で最古の神社です。祭神は「豊葦建姫命」です。地元では「ひめみやさま」と親しまれ、古くから安産の神様として多くの信仰を集めてきました。
鳥居の脇にそびえる大シイは、高さ13メートル、根回り6.7メートル、枝張り南北17メートル、東西14メートル、樹齢は約600年と推定されている古木の風格が漂うご神木です。5月末頃には黄色い房状の花が咲き、9月にはドングリに似た小さなシイの実が熟します。
鎮守の森の象徴ともいえるこの大シイは、境内の他の樹木とともに、篠津地区の人々の信仰と親愛の情によって、大切に守られてきました。歳末には氏子たちによって境内地の古木に張る太い注連縄が作られ、前年の縄とは張り替える習わしが続けられています。(桶川市教育委員会掲示より)

多氣比賣神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)