雲龍寺。比企郡小川町靭負にある曹洞宗寺院

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雲龍寺。武蔵七党児玉党の竹沢左近将監が創建

雲龍寺の概要

曹洞宗寺院の雲龍寺は、竹澤山と号します。雲龍寺は、武蔵七党児玉党の一支族で後深草天皇に仕えていた竹沢左近将監が嘉元2年(1304)に創建したと伝えられます。天正18年(1590)に火災により焼失、廃寺同様となっていたものの、大梅寺3世邦秀が享保4年(1719)に曹洞宗寺院として中興開山、明治維新まで靱負熊野神社を擁していました。

雲龍寺本堂
雲龍寺の概要
山号 竹澤山
院号 -
寺号 雲龍寺
本尊 釋迦牟尼佛像
住所 比企郡小川町靭負637
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



雲龍寺の縁起

雲龍寺は、武蔵七党児玉党の一支族で後深草天皇に仕えていた竹沢左近将監が嘉元2年(1304)に創建したと伝えられます。天正18年(1590)に火災により焼失、廃寺同様となっていたものの、大梅寺3世邦秀が享保4年(1719)に曹洞宗寺院として中興開山、明治維新まで靱負熊野神社を擁していました。

新編武蔵風土記稿による雲龍寺の縁起

(男衾郡竹澤靱負村)
雲龍寺
禅宗曹洞派、比企郡大塚村大梅寺末、竹澤山と號す、中興僧邦秀享保七年寂す、本尊拈華釋迦、(新編武蔵風土記稿より)

「小川町の歴史別編民俗編」による雲龍寺の縁起

雲龍寺(靱負六三七)
雲龍寺は、竹沢山と号し、曹洞宗に属する寺院である。江戸時代には、大塚村大梅寺の末であった。本尊は釈迦牟尼仏で、寺宝として釈迦八相の図が伝えられている。
寺伝によれば、雲龍寺は、嘉元二年(一三〇四)に、後深草天皇に仕えていた竹沢左近将監が、この地に草庵を設けて開創したものであるという。また、口碑によれば、雲龍寺は天正十八年(一五九〇) に大火によって焼失し、その後長い間村内に寺のない状態が続いていたが、享保四年(一七一九)に再興されたという。これを雲龍寺の中興とし、中興開山の邦秀は『新編武蔵風土記稿』によれば享保七年(一七二二)の没となっている。ちなみに、この中興開山の邦秀という僧は、本山である大梅寺の三世である。
なお、靭負は、この地を本拠とした武蔵七党児玉党の一支族である竹沢氏が館を置いたところであり、雲龍寺の裏山に祀られている熊野神社の境内には竹沢氏の祖である竹沢二郎行高のものといわれる五輪塔があり、社殿の背後にはその館跡とされる平場がある。この熊野神社は、神仏分離まで雲龍寺持ちであった。(「小川町の歴史別編民俗編」より)


雲龍寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「小川町の歴史別編民俗編」