圓光寺。比企郡小川町青山にある臨済宗妙心寺派寺院

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

圓光寺。執権北条時頼の招請により創建

圓光寺の概要

臨済宗妙心寺派寺院の圓光寺は、醫王山と号します。圓光寺は、執権北条時頼の招請により、霊山院第三世古伝崇井和尚(弘安元年1278年寂)が建長2年(1250)に開山したといいます。開山当時、関東地方一帯に疫病が流行していたことから、寿福寺の千光栄西禅師が建久元年(1190)に開眼した薬師如来像を、北条時頼が当寺へ移して、疫病の鎮護を願ったといいます。

圓光寺本堂
圓光寺の概要
山号 醫王山
院号 -
寺号 圓光寺
本尊 聖観世音菩薩像
住所 比企郡小川町青山345
宗派 臨済宗妙心寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



圓光寺の縁起

圓光寺は、執権北条時頼の招請により、霊山院第三世古伝崇井和尚(弘安元年1278年寂)が建長2年(1250)に開山したといいます。開山当時、関東地方一帯に疫病が流行していたことから、寿福寺の千光栄西禅師が建久元年(1190)に開眼した薬師如来像を、北条時頼が当寺へ移して、疫病の鎮護を願ったといいます。

新編武蔵風土記稿による圓光寺の縁起

(青山村)
圓光寺
臨済宗、郡中平村靈山院末、薬王山と號す、開山古傳祟井弘安元年四月十二日化す、本尊阿彌陀を安置す、
薬師堂(新編武蔵風土記稿より)

「小川町の歴史別編民俗編」による圓光寺の縁起

圓光寺(青山三四五)
円光寺は、薬王山と号し、臨済宗妙心寺派に属する寺院である。江戸時代には、郡中平村(現都幾川村)霊山院の末であった。本尊は聖観世音菩薩(ただし、『新編武蔵風土記稿』では「本尊阿弥陀」となっている) である。
寺伝によれば、円光寺が開かれたのは、建長二年(一二五〇)三月のことで、時の執権北条時頼の招請により、霊山院第三世の古伝崇井和尚が開山第一世となったという。円光寺の寺紋が北条家のものと同じ「菱四つ目」であるのは、こうした開創の経緯によるのであろう。ちなみに、古伝崇井和尚は、弘安元年(一二七八)四月十二日に没している。
円光寺の本堂には、本尊の観世音菩薩と共に薬師如来像が祀られている。この薬師如来像は、鎌倉五山の寿福寺の開山である千光栄西禅師が、建久元年(一一九〇)四月八日に北条氏の請によって開眼したもので、建長年間に関東地方一帯に疫病が流行した時、北条時頼が寿福寺から円光寺に移し、自ら導師となって疫病の鎮護供養を行ったという。薬王山という山号も、この時に定められた。(「小川町の歴史別編民俗編」より)


圓光寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「小川町の歴史別編民俗編」