霊山院。比企郡ときがわ町西平にある臨済宗妙心寺派寺院

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霊山院。関東で最も古い禅宗寺院

霊山院の概要

臨済宗妙心寺派寺院の霊山院は、拈華山と号します。霊山院は、慈光寺の住持栄朝(寶治元年1247年寂)が塔頭として建久8年(1197)創建、栄朝は臨済宗の開祖栄西に師事していたことから、関東で最も古い禅宗寺院だといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領13石の御朱印状を受領、近隣に末寺を擁していた本寺格の寺院です。明治5年に妙心寺末となっています。

霊山院本堂
霊山院の概要
山号 拈華山
院号 霊山院
寺号 -
本尊 釈迦牟尼仏像
住所 比企郡ときがわ町西平445
宗派 臨済宗妙心寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



霊山院の縁起

霊山院は、慈光寺の住持栄朝(寶治元年1247年寂)が塔頭として建久8年(1197)創建、栄朝は臨済宗の開祖栄西に師事していたことから、関東で最も古い禅宗寺院だといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領13石の御朱印状を受領、近隣に末寺を擁していた本寺格の寺院です。明治5年に妙心寺末となっています。

境内掲示による霊山院の縁起

当寺は、山号を拈華山と称し、建久八年(一一九七)に臨済宗の開祖、明庵栄西の高弟栄朝によって創建された。以来禅修行の道場として多くの名僧を輩出し、禅宗寺院としては、関東で最も古い寺と伝える。明治五年(一八七二)に京都花園の妙心寺所轄となり現在に至っている。当寺には、「開山栄朝禅師の木像」「五色の払子」「インスの香炉」や徳川将軍家(五代将軍綱吉公)より拝領の「蒔絵の硯箱」など多くの寺宝を伝えているが、なかでも次の二件は県の文化財指定を受けた優品である。(埼玉県教育委員会・都幾川村教育委員会・霊山院掲示より)

新編武蔵風土記稿による霊山院の縁起

(平村)
慈光寺塔頭靈山院
拈華山と號す、慶安二年寺領十三石の御朱印を賜ふ、開山榮朝始め慈光寺の住職たりし時、當院を創し、其後上野國世良田長楽寺を開基して、彼寺に移住し、寶治元年九月廿六日寂せり、かゝる因にや、今も慈光寺の塔頭なれど、長楽寺の末に屬せりと云、又慈光寺は元三學兼帶にして、後今の如く天台宗となり、長楽寺もしかなれど、尚當院は古を追て今も済家なり、本尊釋迦を安置す、(新編武蔵風土記稿より)


霊山院所蔵の文化財

  • 板石塔婆一基(国重要美術品)
  • 鉄造阿弥陀如来坐像一軀(県指定有形文化財)
  • 開山栄朝禅師の木像
  • 五色の払子
  • インスの香炉
  • 蒔絵の硯箱

板石塔婆一基

ふくらみのある美しい蓮座に、阿閦如来を示す種子ウーンを深い薬研彫りで表わし、下部中央には、「為造立浮図幷千部妙経生々父母法界」「永仁四季丙申二月日」の銘文、また両側には、随求真言を刻む。
浮図は塔婆を意味し、千部とあるのは法華経一千部のことで、永仁四年(一二九六)に父母のために法華経を千部読誦し、塔婆を建立したことがわかる。
鎌倉時代の形の整った美しい板石塔婆として、本県を代表するものであり昭和一六年には国の重要美術品の認定も受けている。高二〇二糎、幅四七センチ、厚さ八・五センチ。(埼玉県教育委員会・都幾川村教育委員会・霊山院掲示より)

鉄造阿弥陀如来坐像一軀

この像は、彫刻では数少ない鉄を用いて鋳造したものである。写真でみるように、両肩にかかる衲衣をまとい、手は膝前で定印を結び結跏趺坐する阿弥陀如来である。
全体に鉄仏特有の荒ら荒らしさがあるが、素朴で古様を帯びた像形は、深い味わいをもつ。
造立年代を知る銘や資料はないが、鎌倉時代の制作と推定される。像高三四・一センチ。(埼玉県教育委員会・都幾川村教育委員会・霊山院掲示より)

霊山院の周辺図