西福寺。鴻巣市袋にある真言宗智山派寺院

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西福寺。鴻巣市袋にある真言宗智山派寺院

西福寺の概要

真言宗智山派寺院の西福寺は、如台山阿弥陀院と号します。西福寺は、指田家二代三郎左衛門が居宅内に阿弥陀堂を建立、秀海が元和8年(1622)に開山、第二世秀範は寛永5年(1628年)に寂しているといいます。

西福寺
西福寺の概要
山号 如台山
院号 阿弥陀院
寺号 西福寺
本尊 不動明王立像
住所 鴻巣市袋97
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



西福寺の縁起

西福寺は、指田家二代三郎左衛門が居宅内に阿弥陀堂を建立、秀海が元和8年(1622)に開山、第二世秀範は寛永5年(1628年)に寂しているといいます。江戸期には袋地内に鎮座していた諸社(現袋神社)の別当を務めていました。

新編武蔵風土記稿による西福寺の縁起

(袋村)
西福寺
新義真言宗、横見郡今泉村金剛院末。女体山阿弥陀院と号す。開山秀海寂年を傳へず。二世の僧秀範寛永五年の示寂なり。本尊不動。
阿弥陀堂(新編武蔵風土記稿より)

「吹上町史」による西福寺の縁起

西福寺
大字袋字道上、埼玉県消防学校北側に隣接しているこの寺は、新義真言宗智山派、横見郡今泉村(現東松山市)金剛院末派、如台山(女体山)阿弥陀院と号している。
寺の創建については、『新記』は触れず、『郡村誌』は創建未詳と記されているが、袋村指田家文書によると、指田家二代三郎左衛門が指田家の居屋敷内へ、聊の堂を建置、慶長年中一か寺を取建其の際、東西へ三〇間(五四メートル))南北へ四〇間(七二メートル)寺地に定めたと記されている。またた慶長十五年には、袋村民三太夫、五郎左衛門から、指田家に、貴殿御取建の阿弥陀堂境内に、我らの墓所を設けさせてほしいと願出ている。この阿弥陀堂が袋村における寺の始めであり、阿弥陀院西福寺の草創と考える。第一世秀海の開山は元和八年(一六二二)といわれ寂年は伝えていないが第二世秀範の一部寂は寛永五年(一六二八)となっている。
木尊は、室町後期から桃山時代のとろの作と推定される不動明王立像で、木造、寄木造、玉眼、像高七〇センチ。宝永七年(一七一〇)四月に奉納された欅造の狛犬一対が、寺宝として保管されている。
境内に観音堂があり、俗に柿の木観音と言われるが、観音堂草創のころの本尊は、延宝六年(一六七八)正月十八日、当村二軒新田と申す所の小塚より、江戸八丁堀の八右衛門の霊験にて掘り出したものと伝えられる。現在の本尊は、聖観音像で草創当時のものではないという。もとは、袋道上耕地二五四番地に安置されたのを、明治三年(一八七〇)今の地に移したという。(「吹上町史」より)


西福寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「吹上町史」