七郷神社。川口市戸塚の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

七郷神社。旧称氷川熊野峯岳明神合社、旧戸塚村上組の鎮守

七郷神社の概要

七郷神社は、川口市戸塚にある神社です。七郷神社は、当地に来た叡雅上人が庵(西光院)を結んだ天正元年(一五七三)から、第三世長雅上人が境内整備を進めた寛永年間(一六二四-四四)の間に創建したと考えられ、氷川熊野峯岳明神合社と称して戸塚村上組の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格、氷川社と改称、明治40年に大字戸塚内の下立山組の神明社一本木組の諏訪社、平沼組の厳島社、佐藤組の稲荷社、藤兵衛新田の稲荷社、久左衛門新田の天神社の六社を合祀して七郷神社と改称したといいます。

七郷神社
七郷神社の概要
社号 七郷神社
祭神 素盞嗚命
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 川口市戸塚3-13-6
備考 旧戸塚村の鎮守



七郷神社の由緒

七郷神社は、当地に来た叡雅上人が庵(西光院)を結んだ天正元年(一五七三)から、第三世長雅上人が境内整備を進めた寛永年間(一六二四-四四)の間に創建したと考えられ、氷川熊野峯岳明神合社と称して戸塚村上組の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格、氷川社と改称、明治40年に大字戸塚内の下立山組の神明社一本木組の諏訪社、平沼組の厳島社、佐藤組の稲荷社、藤兵衛新田の稲荷社、久左衛門新田の天神社の六社を合祀して七郷神社と改称したといいます。

新編武蔵風土記稿による七郷神社の由緒

(戸塚村)氷川熊野峯岳明神合社
小名上組の鎮守なり、西光院の持。
末社。天神社、荒脛社、稲荷社、諏訪社。(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による七郷神社の由緒

七郷神社(戸塚3-13-6)
当社は旧別当西光院と共に大官台地南端に並び建つ。この高台の突端には、忍城主成田虜の壇下で、この辺りを領した小宮山忠孝が天正年中(一五七三-九二)に住したと伝える城跡がある。
別当西光院は天正元年(一五七三)に当地に来た叡雅上人により庵として結ばれたのが始まりで、その後、文禄二年(一五九三)に再び上人が当寺に来た際に青竜山西光院伝福寺と号した。更に、寛永年間(一六二四-四四)に第三世長雅上人により薬師堂・表門・客殿などが造立されて再興がなり、以来興隆を極めたという。
以上のことを勘案するに、当社の創建年代は中世末から近世初頭のことと推測され、寛永年間の西光院再興に際しては、隣接する当社の整備も進められたものであろう。
『風土記稿』に当社は「氷川熊野峯岳明神社 一小名上組の鎮守なり、西光院の持、末社。天神社、荒脛社、稲荷社、諏訪社」と載る。
明治初年の神仏分離により別当を離れた当社は明治六年に村社となり、氷川社と号した。同四十年には大字戸塚内の下立山組の神明社一本木組の諏訪社、平沼組の厳島社、佐藤組の稲荷社、藤兵衛新田の稲荷社、久左衛門新田の天神社の六社を合祀して七郷神社と改称した。この社名は、七つの村組で祀る神社が合併したことにちなむものである。時の社掌高橋景行による命名であろう。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


七郷神社の周辺図