川越熊野神社。川越市連雀町の神社

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川越熊野神社。蓮馨寺二世然誉文応僧正が勧請

川越熊野神社の概要

川越熊野神社は、川越市連雀町にある熊野神社です。川越熊野神社は、天正18年(1590)、蓮馨寺二世然誉文応僧正が紀州熊野を勧請して創建され、連雀町の鎮守として祀られてきたといいます。享保8年(1723)年に秋葉神社を境内に勧請、明治2年に加佑稲荷神社、厳島神社を蓮馨寺境内より遷座、明治4年村社に列格し、大正11年大鷲神社を、鷲宮神社より勧請しています。

川越熊野神社
川越熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 伊弉冉尊、事解之男尊、速玉之男尊
相殿 -
境内社 加祐稲荷神社、厳島神社、秋葉神社、大鷲神社
祭日 例大祭4月15日、秋季例祭10月15日
住所 川越市連雀町17-1
備考 旧村社



川越熊野神社の由緒

川越熊野神社は、天正18年(1590)、蓮馨寺二世然誉文応僧正が紀州熊野を勧請して創建され、連雀町の鎮守として祀られてきたといいます。享保8年(1723)年に秋葉神社を境内に勧請、明治2年に加佑稲荷神社、厳島神社を蓮馨寺境内より遷座、明治4年村社に列格し、大正11年大鷲神社を、鷲宮神社より勧請しています。

境内掲示による川越熊野神社の由緒

天正18年(1590)、蓮馨寺二世然誉文応僧正が紀州熊野より勧請したことに始まり、正徳3年(1713)社殿を改築し鳥居を石造りとしました。現在ある二の鳥居がそれです。(境内掲示より)

「埼玉の神社」による川越熊野神社の由緒

熊野神社<川越市連雀町一七-一(松郷字連雀町)>
連雀町は、市の中央部に位置し、浄土宗蓮馨寺の門前町として発達した商業地帯であり、町名の由来は、門前に多く出ていた連雀店から来ているという。明治二六年の川越大火では、当所も多くの被害があったが、その後立派に再興した。
蓮馨寺は、室町末期川越城主大導寺駿河守政繁の母蓮馨尼を開基とし、感誉存貞上人を開山とする。天正一九年寺領二十石を賜り、慶長七年浄土宗関東十八檀林の制が設けられ当寺もその一つに加えられる。
当社は、『明細帳』によると天正一八年蓮馨寺二世然誉文応が紀州熊野より勧請したことに始まり、以後、連雀町の人々が氏神として崇敬した。下って正徳三年同寺一六世然誉了鑑の時、社殿を改築し、鳥居を石造りとした。
明治二年、神仏分離により寺の管理を離れ、同四年に村社となり、同二六年社殿が焼失、同三九年社殿・神楽殿及び手水舎を建築した。
境内末社は、神仏分離により明治二年蓮馨寺境内から移した加祐稲荷神社・秋葉神社・厳島神社、大正期に南埼玉郡鷲宮町の鷲宮神社の分霊を奉斎した大鷲神社、飛び地境内に祀る火除け稲荷神社・本阿弥稲荷神社の六社がある。
明治期からの祀職は、岡本逢之助、保、一夫と継いでいる。(「埼玉の神社」より)

加佑稲荷神社御由緒

加佑稲荷神社御由緒
御祭神:倉稲魂命
御由緒:「新編武蔵風土記稿」及び「武蔵三芳野名勝図会」に当社の名は記されているが御由緒は不詳。口碑によれば、蓮馨寺開祖以前からあり、此の神を帰信したところ、種々の厄災を免れたことが数多くあった。ここに於いて偏にこの神が祐を加えて下さるということで加祐という名前を社号に冠し崇め来たということである。云々。其の社号が今なお古い旗に書かれているのが残っていたと言われる。そのことから室町時代永禄年間(1558-1570)には既に当社は存在していたことが明らかであると推考できる。明治2年蓮馨寺境内より遷座して熊野神社の御末社となった。
例祭日:例祭3月5日、縁日毎月5日(境内掲示より)

厳島神社御由緒

厳島神社御由緒
御祭神:市杵島姫命
御由緒:鍛治町の名主中島孝昌著「武蔵三芳野名勝図会」(享和元年1801年)によれば、その昔は蓮馨寺南側の林中にあったが、当時秋葉神社に移したと記されている。よって御由緒は不詳であるが、口碑によれば蓮馨寺開祖が以前より寶池(熊野神社浦より蓮馨寺境内にかけてありと)に鎮座していた当社を崇敬し、池名寶池を取って寺号となし、寶池院としたと言う。明治2年蓮馨寺境内より遷座して熊野神社の御末社となった。
例祭日:例祭6月17日、縁日毎月17日(境内掲示より)

秋葉神社御由緒

秋葉神社御由緒
御祭神:火之迦具土命
御由緒:新編武蔵風土記稿によれば、第十代川越藩主秋元喬房(六万石)氏により、享保8年(1723)年に造立。秋元氏が蓮馨寺住僧東誉円悦なる者に議り当社安置の地を熊の神社に岡を築き勧請させた。昭和33年まではその小丘が残っていた。
例祭日:例祭11月18日、縁日毎月18日(境内掲示より)

大鷲神社御由緒

大鷲神社御由緒
御祭神:天之鳥船命
御由緒:大正11年、南埼玉郡の鷲ノ宮神社の分霊を奉斎したと伝えられている。初め熊野神社に合祀されたが、後に流れ造りの社殿を建立し、遷座祭を執行して末社とした。川越市とその市民の繁盛のため毎年12月3日に「酉の市」を開催し、大神の福を呼ぶとされる。「稲穂付きの熊手」や「百万両小判」を授かろうと近郷近在より善男善女が集まり、年毎に益々盛大になっている。
例祭日:例祭12月3日、縁日毎月3日(境内掲示より)


川越熊野神社の周辺図