鯨井八坂神社。川越市鯨井の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

鯨井八坂神社。川越市指定民俗文化財の鯨井の万作

鯨井八坂神社の概要

鯨井八坂神社は、川越市鯨井にある八坂神社です。鯨井八坂神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には(上戸日枝神社の横にあった)修験大廣院持ちの社として鯨井字天王に祀られていました。その後観音寺(現鯨井東方薬師如来堂)のあった当地鯨井字宿へ遷座、明治41年上戸日枝神社に合祀されましたが、昭和50年還座しています。当所で奉納される「鯨井の万作」は川越市無形民俗文化財に指定されています。

鯨井八坂神社
鯨井八坂神社の概要
社号 八坂神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 -
祭日 天王祭り7月14・15日、春祈祷4月9日
住所 川越市鯨井1840鯨井自治会館
備考 -



鯨井八坂神社の由緒

鯨井八坂神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には(上戸日枝神社の横にあった)修験大廣院持ちの社として鯨井字天王に祀られていました。その後観音寺(現鯨井東方薬師如来堂)のあった当地鯨井字宿へ遷座、明治41年上戸日枝神社に合祀されましたが、昭和50年還座しています。

「埼玉の神社」による鯨井八坂神社の由緒

八坂神社<川越市鯨井一八四二-一(鯨井字天王)>
当社は、以前、現在地より南方へ四〇〇メートル余りの所にある鯨井字天王にあったという。現社地は瑠璃光山観音寺の境内であり、明治の初めに廃寺となり薬師堂だけが残り、寺の跡地に神社を村民が担いで持って来たと伝えている。このため当社は薬師堂と並んで鎮座する。
明治の末に当社は無格社であることから、鯨井・上戸・的場の総鎮守である上戸の日枝神社に合祀されたが、神社の建物は残り「仮祭典所」と称して祭祀を続けて来た。また、鯨井字浅間にあった浅間社の石祠も同時に日枝神社境内に移転されたが、祭典は仮祭典所である当社で執行されるようになった。
下って昭和五〇年、旧氏子の要望により再び神霊を日枝神社から奉遷して現在に至っている。
社蔵の獅子頭一頭は、元治元年製作のもので古色を帯びていたが、近年修理彩色した。また、境内の柊の古木は樹齢八〇〇年といわれ、市指定の天然記念物である。県道の拡張工事で、境内地への移植を余儀なくされたが、樹勢はますます盛んである。
境内の稲荷社は、もと観音寺の寺鎮守であったが、廃寺の後は当社の末社となっている。二月二の午に祭典を行い、昔は「正一位稲荷大明神」と書いた紙幟が数多くあがった。有泉地区の氏子はこの日、回り番で宿を決めて稲荷講を行っている。(「埼玉の神社」より)

「入間郡誌」による鯨井八坂神社の由緒

名細村鯨井
八坂社
宿にあり。元は浅間社と共に天王の地にありしが、其後此處に移し、而して今は日枝社に合して、拝殿を殘すのみ。(「入間郡誌」より)

新編武蔵風土記稿による鯨井八坂神社の由緒

(高麗郡鯨井村)
八坂社
大廣院持、(新編武蔵風土記稿より)


鯨井八坂神社の概要

  • 鯨井の万作

鯨井の万作

七月十四・十五の天王祭り、四月九日の鎮守日吉神社(鯨井・的場・上戸の鎮守)春祈とうの際に行なわれる。明治末年に鯨井の真仁田市平という人が村人に教えたのが始まりという。鯨井の万作は、成年に達したら必ず習わなければならないものえ、若い衆達によって踊りつがれてきたものである。七月十四日の晩は、ソロイと称して万作踊りを踊る。十五日には、若者たちにかつがれた獅子が鯨井の三地区をまわる。特に改築や新築の家では、御神酒を出し万作踊りを踊ってもらう。踊りは下妻手踊り一曲で、横一列に並んで踊る。歌詞は三番まであり、一番が基本で二番三番は踊りのアヤが少しづつ違い、手が込み動きもやや早くなる。下妻踊りの他に、教え唄(正月唄、八人が四名づつ向き合って踊る)・追分(馬喰踊り、横一列)・伊勢音頭・相撲甚句・八木節なども踊る。昭和の初め、川越市霞が関に出たものが習い覚えてきたという。(川越市教育委員会掲示より)

鯨井八坂神社の周辺図