仙波愛宕神社。川越市富士見町の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

仙波愛宕神社。仙波古墳群の男塚、仙波七郎高家を葬った地

仙波愛宕神社の概要

仙波愛宕神社は、川越市富士見町にある愛宕神社で、仙波古墳群の男塚に鎮座しています。愛宕神社の創建年代等は不詳ながら、平安時代に山城国愛宕山より分霊を奉斎したともいい、天文9年(1540)川越城大道寺駿河守より許状を得ているといいます。当地向かいの長徳寺は仙波氏館跡ともいい、当地は仙波七郎高家を葬った地だともいいます。

仙波愛宕神社
仙波愛宕神社の概要
社号 愛宕神社
祭神 火産霊命
相殿 -
境内社 水神・不動・延命地蔵・倶利伽羅不動
住所 川越市富士見町33-1
備考 -



仙波愛宕神社の由緒

愛宕神社の創建年代等は不詳ながら、平安時代に山城国愛宕山より分霊を奉斎したともいい、天文9年(1540)川越城大道寺駿河守より許状を得ているといいます。当地向かいの長徳寺は仙波氏館跡ともいい、当地は仙波七郎高家を葬った地だともいいます。

新編武蔵風土記稿による仙波愛宕神社の由緒

(大仙波村)愛宕社
圓径五十間、四方の塚上に立、この社頭よりの眺望東南の方打開けて、最も勝景の地なり、又爰より坤の方二三町を隔て浅間の社立る塚あり、土人いかなる故にや其塚を母塚と呼び、當所のを父塚とわかちいへり、又當所の塚は仙波七郎高家を葬し所なりと云へど、更に正しき據とすべきことなし。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による仙波愛宕神社の由緒

愛宕神社<川越市富士見町三三-一(大仙波字富士ノ腰)>
当社は仙波河岸にある。仙波河岸は新河岸川舟運の最上流の河岸であり、古くから東照宮三芳野神社の資材運搬時に利用されているが、正式な河岸開設は明治初年である。河岸としては新しいが当地の歴史は古く、『風土記稿』に「塚三、六角堂塚、猫山塚、甲山寺塚の名あり」とあり、当社について「愛宕社 円径五十間、四方の塚上に立、この社頭よりの眺望東南の方打開けて、最も勝景の地なり、又爰より坤の方二三町を隔て浅間の社立る塚あり、土人いかなる故にや其塚を母塚と呼び、当所を父塚とわかちいへり」と載せている。
また『武蔵名所図会』には「祭神彦火々出見尊、別当万仁坊当山派修験、往古此所迄武蔵野なりし頃此辺の野中に百塚あり、就中富士浅間之山と此愛宕尤大也、依而父塚母塚と云ひしか何の頃にや浅間と愛宕の両社勧請せり。瀑布麓に有清潔之冷泉にて参詣之人かならす此飛泉に垢離す、毎年六月廿四日を以て祭祀あり、此日柴焼護摩修行ある。摂社婆伽羅龍王」とある。
社記は「祭神火産霊命、平安の頃山城国愛宕山より分霊を奉斎、天文九年川越城大道寺駿河守の許状、文禄二年山城国愛宕山長床坊内東光坊の末寺とする書状があり。慶長一九年川越城主より中田一反中畠一反の寄進がある」と記す。(「埼玉の神社」より)


仙波愛宕神社所蔵の文化財

  • 愛宕神社古墳(市指定・旧跡)

愛宕神社古墳

仙波台地の東南端上に築かれたもので、かってこの付近一帯には六つ塚稲荷の名称から考えても多くの古墳群が存在していたことがうかがえる。高さ六メートル、東西三十メートル、南北五十三メートルを有し、基壇のある二段築成の円墳で、幅約六メートルの周溝が東南の斜面を除いて巡っている。六世紀中葉期のものと思われる。現在は愛宕神社が祀られている。(川越市教育委員会掲示より)

仙波愛宕神社の周辺図