真観寺。行田市小見にある真言宗智山派寺院

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慈雲山真観寺。忍領三十三所初番札所、小見真観寺古墳

真観寺の概要

真言宗智山派寺院の真観寺は、慈雲山福聚院と号します。真観寺は、瀧憲鏡阿闍梨(仁冶3年1242年寂)が開山となり創建、慶長9年(1604)には寺領10石の朱印状を拝領したといいます。観音堂の手前には仁王門、裏手には小見真観寺古墳があります。小見真観寺古墳は七世紀前半に築造されたと考えられる前方後円墳で、明治13年の発掘調査では数多くの副葬品が出土しました。また真観寺は、忍領三十三所初番札所となっていました。

真観寺
真観寺の概要
山号 慈雲山
院号 福聚院
寺号 真観寺
本尊 正観音像
住所 行田市小見1124
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 忍領三十三所初番札所



真観寺の縁起

真観寺は、瀧憲鏡阿闍梨(仁冶3年1242年寂)が開山となり創建、慶長9年(1604)には寺領10石の朱印状を拝領したといいます。当寺観音堂の手前には仁王門、裏手には小見真観寺古墳があります。小見真観寺古墳は七世紀前半に築造されたと考えられる前方後円墳で、明治13年の発掘調査では数多くの副葬品が出土しました。

新編武蔵風土記稿による真観寺の縁起

真観寺
新義真言宗、長野村長久寺末、慈雲山福聚院と号す。開山瀧憲鏡阿闍梨、仁冶3年8月3日化す。慶長9年寺領10石を賜ふ。本尊正観音を安置す。
観音堂。正観音を安ず。木の立像3尺5寸、鳥佛師の作と云傳ふ。脇士に不動・毘沙門の二像を置。此堂の後の方小高き所に8尺四方の岩窟あり。寛永年中そこより開山の碑を掘出せしとて今も存せり。青き板碑にて前面に金剛□子瀧憲鏡阿闍梨、□□菩提□□□、仁治3年8月悲願第三番と彫れり。
籠堂。釈迦堂。弁天社。仁王門。(新編武蔵風土記稿より)


真観寺所蔵の文化財

  • 真観寺聖観音像(埼玉県指定彫刻)
  • 小見真観寺古墳(国指定史跡)

真観寺聖観音像

この像103cm、檜材、寄木造の聖観音像は、藤原時代末期の典型的な美しさを持つ立像である。
本像は、元来三尊仏の脇侍として造立されたものと思われるが、典雅に整った正統な定朝様を伝えている。その洗練された彫技から推すと中央仏師の手になるものと思われ十二世紀前半から中葉頃の造立と考えられる。
本像に続く作品として、南埼玉郡宮代町西光院の本尊阿弥陀三尊があり、その脇侍像と本像とは酷似している。
江戸時代、昭和33年の補修は受けているものの、よくその豊麗な姿を保っており、市内でも数少ない藤原仏の一つといえよう。(行田市教育委員会掲示より)

小見真観寺古墳

小見真観寺古墳は、真観寺境内にある前方後円墳です。

この古墳は、小見古墳群に属する前方後円墳で、星川の右岸の低台地上に立地している。
現存の墳丘の大きさは、全長112mである。埋葬施設は後円部と鞍部付近に緑泥片岩の一枚石を組み合わせた二ヶ所の横穴式石室がある。後円部の石室は寛永11年(1643)に発見され、前・後室よりなっている。
鞍部の石室は、後室のみが現存するが、前室については明らかではない。この石室は明治13年に発掘調査され、衡角付冑、桂甲小札、鉄鏃、金環、頭稚太刀、圭頭太刀、刀子、蓋付有脚銅鋺等の副葬品が出土している。出土品は、東京国立博物館に収蔵・展示されている。
これらの副葬品から、この古墳は七世紀前半に築造されたと考えられるが、鞍部石室はやや遅れて造られた可能性がある。
前方後円墳としては最も新しいものであり、埼玉古墳群に後続する首長墓として重要である。(埼玉県教育委員会・行田市教育委員会掲示より)


真観寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿