原市氷川神社。上尾市原市の神社

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原市氷川神社。上尾市原市の神社

原市氷川神社の概要

原市氷川神社は、上尾市原市にある神社です。原市氷川神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には長久寺の境内社として記されており、長久寺は慶安年間(1648-1652)に一寺となったということから、江戸時代初期には祀られていたのではないかといいます。

原市氷川神社
原市氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 秋葉社、天神社、厳島社、八幡社
祭日 4月4日
住所 上尾市原市1520
備考 -



原市氷川神社の由緒

原市氷川神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には長久寺の境内社として記されており、長久寺は慶安年間(1648-1652)に一寺となったということから、江戸時代初期には祀られていたのではないかといいます。

新編武蔵風土記稿による原市氷川神社の由緒

(原市村)長久寺
天台宗、川田谷村泉福寺の末、天王山自性院と號す、當寺元菴室なりしが、慶安年中一寺となれりと云、本尊不動を安ず。
氷川社
本地佛正観音の像を安ず、勧請の年代詳ならず、寛保二年に再興ありと云。
末社。山王社、秋葉社、辨天社、天神社、八幡社、稲荷社。(新編武蔵風土記稿より)

「上尾の神社・寺院」による原市氷川神社の由緒

「新編武蔵風土記稿」に記載がないが、同所には隣接する長久寺持の社として稲荷社(2)、天王社、蔵王社を挙げており、これらはほとんど「武蔵国郡村誌」では姿を消し、はじめて当氷川社の名が出てくる。この辺に社の合祀、改称等の事実があったのではなかろうか。本殿の造から見ても古式がうかがわれる。(「上尾の神社・寺院」より)

「埼玉の神社」による原市氷川神社の由緒

氷川神社<上尾市原市一五二〇(原市字九番耕地)>
近世における市場集落の面影を残す原市には、上町・中町・下町・上新町・下新町の五つの町内がある。当社は、その内の上町・中町・上新町の三町内の守り神として祀られてきた神社である。その境内はかつて道の両側に市の立った原市の本通りのすぐ脇にあり、現在は樹木はほとんどないが、昭和五十年台の中ごろまでは参道の敷石を挟むように木々が茂っていた。
当社の創建についての経緯は不明であるが、『風土記稿』原市村の項に「氷川社 本地仏正観音の像を安ず、勧請の年代詳ならず、寛保二年(一七四二)に再興ありと云」と載るところから、少なくとも江戸中期までにはこの地に勧請されていたことがうかがわれる。本殿は古風な趣を持った一間社流づくりで、正面の御扉のほかに、左右の側面にも扉のついた珍しい構造を特徴としている。寛保二年の再興後、再建や大きな修復についての記録はないため、現存する社殿は、恐らくその際に建設されたものと思われる。
内陣には、『風土記稿』の記事にある正観音像と地蔵菩薩立像・秋葉大権現立像・天満天神座像の四体が筥に納められ安置されている。当社は、江戸時代には境内の東に隣接する長久寺の持ちであり、神仏分離後も、無格社であったことが幸いして強い統制が及ばなかったため、本地仏がそのまま残され、祀られ続けてきたのであろう。(「埼玉の神社」より)


原市氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)