冨田院。極楽寺第7世節秀法忠開山
冨田院の概要
臨済宗円覚寺派寺院の冨田院は、猿猴山と号します。冨田院は、長福寺2世高陽法峩和尚(文亀2年1502年寂)が開山したといいます。
山号 | 猿猴山 |
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院号 | 冨田院 |
寺号 | - |
本尊 | 地蔵菩薩像 |
住所 | 南足柄市広町497 |
宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
冨田院の縁起
冨田院は、長福寺2世高陽法峩和尚(文亀2年1502年寂)が開山したといいます。
「南足柄市史」による冨田院の縁起
猿山村冨田院
同院は小本山長福寺の二世高陽法峩和尚が開山した寺である。天保九年以前に無住となったところ、檀家らが宗判や公用は小本山の長福寺に頼み、檀家への宗教的儀式は本山の極楽寺に頼んだため、長福寺と極楽寺の間で争いとなった。この争論は班目村珠明寺などが仲介に入り、「富田院無住に付き、其の内檀用向は長福寺勝手に付き極楽寺へ相頼み、表向寺役は長福寺より一円取り計らい致すベく候」と分担することで内済した。また、この争論で本寺・末寺の関係に問題が生じないよう「互に本末の礼式堅く相守り申すべく候」と申し合わせている。(「南足柄市史」より)
新編相模國風土記稿による冨田院の縁起
(猿山村)
富田院
猿猴山と號す、同宗(臨済宗)(關本村長福寺末、)開山法峨(本寺二世文龜二年九月四日寂、)本尊地蔵、(新編相模國風土記稿より)
冨田院の周辺図
参考資料
- 新編相模國風土記稿
- 「南足柄市史」
- 公式サイト:臨済宗 猿猴山冨田院