願成寺。小田原市寿町にある曹洞宗寺院

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大雄山願成寺。小田原市寿町にある曹洞宗寺院

願成寺の概要

曹洞宗寺院の願成寺は、大雄山海蔵院と号します。願成寺は、関東管領足利氏満が応永3年(1396)に祈願所として創建、壽福心印和尚(応永15年1408年寂)が開山、その後第三世徹巌宗映が大永3年(1523)に再興したといいます。

願成寺
願成寺の概要
山号 大雄山
院号 海蔵院
寺号 願成寺
本尊 釈迦如来像
住所 小田原市寿町3-13-29
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



願成寺の縁起

願成寺は、関東管領足利氏満が応永3年(1396)に祈願所として創建、壽福心印和尚(応永15年1408年寂)が開山、その後第三世徹巌宗映が大永3年(1523)に再興したといいます。

新編相模国風土記稿による願成寺の縁起

(町田村)
願成寺
大雄山海蔵院と號す、曹洞宗(中嶋村福嚴寺末、)應永三年、鎌倉管領左兵衛氏満の創立と云、(氏満永安寺と謚し、應永五年十一月四日逝す、)開山心印、(應永十五年八月十五日卒、)第三世徹巌宗映(享禄二年五月十二日、)大永三年十方を勸化して再興す、其時の勸進状今に所蔵せり、
(其文曰、南閣浮大日本扶桑國、相州西郡早川庄町田村願成寺再造、同本尊釋迦三尊彩色勸進之状、勸進釋沙門妙久、相州西郡鞠子河足子河之中間有寺、號大雄山願成寺、大檀越永安寺殿從三位源朝臣佐兵衛督、應永三年建立御祈願所也、夫大雄山者、天竺阿育大雄向空空中投七寶塔、早川庄且澤有之、故爲大雄山、開山前任壽福心印和尚、浄智第一世大阿和尚小師也、師檀道合盛哉、鎮守神山大權現、開山塔海蔵院、山門堺致、前滄海漫々、後大山峨々、今井一式小田原風景在目下矣、然所關東一亂人堺變化只名而已、故奉勸十方檀那助成、伏願出家仕え家善男善女等、若一錢若二錢乃至十錢、随家豊儉、不可論多少、至五穀亦然乎、何等物不可布施耶、以貴錢上下信力、寺家殿宇再造、釋迦三尊彩色修補、於願成就者、助成輩現世福聚無量、来世得作佛有何疑乎、勸進之状如件、大永三年卯月吉日、沙門徹岩謹書、落款あり、按ずるに、鞠子河は今の酒匂川、足子河は即久野川なり、今も下流を蘆子川と唱ふ、勝澤は今久野村の屬にて、同村に勝澤川あり、神山權現も久野村にあり、)
本尊釋迦、
△白山社
△稲荷社(新編相模国風土記稿より)


願成寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿