八王山常光寺。藤沢市本町にある浄土宗寺院
常光寺の概要
浄土宗寺院の常光寺は、八王山摂取院と号します。常光寺は、元亀3年(1572)鎌倉光明寺27世明蓮社光誉西穏が光明寺退隠後に当寺を創建したといいます。。
山号 | 八王山 |
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院号 | 摂取院 |
寺号 | 常光寺 |
住所 | 藤沢市本町4-5-21 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
常光寺の縁起
常光寺は、元亀3年(1572)鎌倉光明寺27世明蓮社光誉西穏が光明寺退隠後に当寺を創建したといいます。。
「藤沢郷土誌」による常光寺の縁起
八王山常光寺
藤澤町(西坂戸)千三百七十三番地に在る。元龜三年(今より三百六十一年前)建立たり。本尊は阿彌陀如来御丈け三尺、安阿彌の作にして源賴朝の持佛たり。開山は西穏と云へり。元禄三年五月二十五日遷化すと。明治二年不幸火災に罹り諸堂託録灰燼に歸したり。假本堂たりしを、明治二十五年本堂成りぬ。大正十二年の大震災には倒潰は免れたるも大破す。直後修理成る。因に相模に於て明治初年、新戸の松木騒動として有名たりし襲撃の張本人、冠彌右衛門は此寺に於て薙髪して餘生を送りしもの。(「藤沢郷土誌」より)
新編相模国風土記稿による常光寺の縁起
(高座郡坂戸町)
常光寺
八王山無量院と號す、浄土宗(鎌倉光明寺末)元龜三年本寺二十七世明蓮社光譽建立して退隠の所とす、本尊阿彌陀(長三尺安彌作、頼朝の持佛なりしと云ふ、)を安ず、
鐘樓
観音堂(新編相模国風土記稿より)
常光寺の周辺図
参考資料
- 「藤沢郷土誌」
- 新編相模国風土記稿