平泉白山神社。平泉町平泉衣関の神社

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平泉白山神社。中尊寺の鎮守、国指定重要文化財の能樂殿

平泉白山神社の概要

平泉白山神社は、平泉町平泉衣関にある神社です。平泉白山神社は、中尊寺の開祖である慈覚大師が加賀白山神社を勧請して嘉祥3年(850)に創建、中尊寺の鎮守としたといいます。当社の能樂殿は、伊達藩主伊達慶邦朝臣が再建奉納したもので、国重要文化財に指定されています。

平泉白山神社
平泉白山神社の概要
社号 白山神社
祭神 伊弉諾尊、伊弉冊尊
相殿 -
境内社 十二支一代守護神社
祭日 5月4日
住所 平泉町平泉衣関173
備考 -



平泉白山神社の由緒

平泉白山神社は、中尊寺の開祖である慈覚大師が加賀白山神社を勧請して嘉祥3年(850)に創建、中尊寺の鎮守としたといいます。当社の能樂殿は、伊達藩主伊達慶邦朝臣が再建奉納したもので、国重要文化財に指定されています。

「岩手県神社名鑑」による平泉白山神社の由緒

人皇十三代景行天皇の御代、日本武尊東夷征伐の時祈誓せられ、夷賊鎮定の後、越国一ノ宮白山神社の御霊を分担して磐井川北辺に奉斎せらる。その後仁明天皇の御代、現在の地に選座し奉る。
人皇七十代後冷泉天皇の天喜五年(一〇五七)源頼義朝臣、安倍貞任征伐の時、当社に戦勝を祈願せられ、凱旋の時胆沢郡の内(瓦長)尻・小前沢の両村を寄附せらる。
明治九年(一八七六)明治天皇御臨幸あって古祭式並びに能楽などを天覧に供する。(「岩手県神社名鑑」より)

「岩手県町村誌」による平泉白山神社の由緒

(平泉村)白山神社(村社)
大字中尊寺にあり。
中尊寺の鎮守にして金堂跡の北にありて關山諸寺社の最古蹟と稱せらる〇平泉志云はく白山社祭式古来毎年四月初午未の兩日なり、午の刻に殿内に山吹一束(枝葉一尺許)を納む次に獅子舞あり、傳へて白山神遥迎式といふ、此舞獅子は北條時代の寄附なりといへり次に御一箇馬と稱し衆徒中男子の七歳なるを選び二七日潔斎をなさしめ装束腰に蘆葉を挟み飾馬に乗る口付一人笠上に・・・(「岩手県町村誌」より)

境内掲示による平泉白山神社の由緒

白山神社由緒
仁明天皇の御代嘉祥三年(八五〇)中尊寺の開祖である慈覚大師が加賀の白山をこの地に勧請し自らは、十一面観音を作って中尊寺の鎮守白山権現と号された。配佛としては、樋爪五郎季衡の持佛で運慶作の正観音と源義経の持佛で毘沙門天が配安されてありましたが、嘉永二年正月八日(一八四九)の火災で焼失した。
現在ある能舞台は嘉永六年(一八五三年)伊達藩主伊達慶邦朝臣から再建奉納されたものであります。(平成十五年国の重要文化財指定)
現行の能舞は、天正十九年時の関白豊臣秀次と藩主伊達政宗両公が当社参拝の節観覧に供し以来続行今日に到っている。明治九年秋には明治天皇が御東巡の折りに当社に御臨幸あらせられ、古式及び能舞を天覧あらせられました。
平成十五年七月 謹記(境内掲示より)


平泉白山神社所蔵の文化財

  • 野外能樂殿(国指定重要文化財)

平泉白山神社の周辺図


参考資料

  • 「岩手県神社名鑑」