中尊寺。岩手県平泉町平泉衣関にある天台宗寺院

猫の足あとによる首都圏外寺社案内

中尊寺。天台宗東北大本山、世界遺産

中尊寺の概要

天台宗寺院の中尊寺は、関山と号します。中尊寺は、藤原興世の帰依を受けた慈覺大師円仁が嘉祥3年(850)に弘台寿院と号して創建、貞観元年(859)に清和天皇より賜り中尊寺と号したといいます。堀川天皇の勅命により藤原清衡が伽藍堂宇の建立に着手、基衡・秀衡も伽藍を造立し、寺塔四十余宇、禅坊三百余を擁する大寺院となったといいます。建武4年(1337)災禍により焼失したもののその後の領主よりも寺領を安堵され、金色堂を始めとして数多くの寺宝を有している天台宗の別格大寺(東北大本山)寺院です。平成23年(2011)には「平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として世界文化遺産に登録されています。

中尊寺
中尊寺の概要
山号 関山
院号 -
寺号 中尊寺
住所 平泉町平泉衣関202
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



中尊寺の縁起

中尊寺は、藤原興世の帰依を受けた慈覺大師円仁が嘉祥3年(850)に弘台寿院と号して創建、貞観元年(859)に清和天皇より賜り中尊寺と号したといいます。堀川天皇の勅命により藤原清衡が伽藍堂宇の建立に着手、基衡・秀衡も伽藍を造立し、寺塔四十余宇、禅坊三百余を擁する大寺院となったといいます。建武4年(1337)災禍により焼失したもののその後の領主よりも寺領を安堵され、金色堂を始めとして数多くの寺宝を有している天台宗の別格大寺(東北大本山)寺院です。

「岩手県町村誌」による中尊寺の縁起

(平泉村)
▲關山中尊寺
當寺は人皇五十四代仁明天皇の御宇嘉祥三年釋圓仁の開基なり、始め弘台壽院と號す後五十六代清和天皇貞観元年に中尊寺の號を賜はる七十代後冷泉天皇の御宇天喜五年源賴義膽澤郡の内三ヶ尻小前澤の兩村を寄附せらる、七十三代堀川天皇の御宇長治二年藤原朝臣清衡に當寺を經營すべき旨の勅あり、天仁二年其功竣る實に堂塔四十餘宇僧房三百餘宇即ち鎮護国家の靈場たるべしとて勅願所とし給ふ、七十五代崇徳天皇御宇天治三年三月廿四日按察使中納言顯隆卿を勅使として大伽藍堂塔を供養し給ひ其御願文を納めらる、基衡、清衡尋で堂塔坊舎を増築す、文治五年平泉沒落後賴朝卿より寺社領安堵の御教書を下され其後鎌倉将軍家及び時の國守よりも保護あり、寺領は天正年間豊臣關白時代まで七ヶ村の朱印地を給ふ尚伊達政宗卿受領の後當寺の境内を定め更に若干の寺領を寄附せらる、明治九年先帝東北御巡幸の時當山に臨幸あらせられたり。
金色堂(世俗光堂と稱す)天仁二年清衡の起工にして天治三年落成す、實に十三年の星霜を經たり此堂は三間四面なり(中略)左中右の三檀あり三檀の中には藤原三代の靈棺を納む、中央清衡、左基衡、右秀衡にして秀衡の棺側には忠衡の首桶あり。
<中略>
▲金色院。天台宗にして金色院別當なり。
法泉院
積善院
利生院
瑠璃光院
大長壽院
圓鏡院
眞珠院
圓乗院
大徳院
薬樹王院
地蔵院
釋尊寺
今剛院
觀音院
常住院
願成就院
龍蔵寺
金剛院
威神院
正善院
大乗院
覺性院
福品院
薬王院
蓮乗院
光圓院
茲光院
如祥院
寶積院
壽令院
白王院
普賢寺
千手寺(以上天台宗)
▲山王社
金色堂の南にあり、慈覺大師の勸請にして釋迦三尊運慶の作を本地佛とす、今は釋迦堂と稱す。
▲經蔵
金色堂の西北にあり、天仁二年清衡の建立なり、本尊は鳥羽天皇等身の文殊菩薩なり、清衡、基衡、秀衡三代奉納の一切經、中尊寺供養願文古文書、義經東下りの繪詞、古代の樂面、雷斧龍珠蛇牙独鈷石等を寶物として蔵す。
▲閼伽堂
金色堂の東北にあり本尊は不動尊二童子及び丈六の彌陀薬師二軀を安置す(運慶の作)往古光勝院と號せり、別當は金色院なり。
▲辨財天堂
金色堂の北池中の島にあり、本尊及十五童子は安阿彌の作にして往古最勝院と號す、最勝王經並に秀衡の筆に成るといふ經説極彩色の畫あり別當は大長壽院なり。
(寶物)惡路王の帶劍、辨慶の長刀、常陸坊の鎧
▲阿彌陀堂
金色堂の東北にあり、本尊は慈覺大師の作別當圓乗院。
(寶物)三十番神、巨勢金岡の筆顔輝の畫。
▲鐘樓
金色堂の東北にあり、舊址に假堂を建て、梵鐘を懸く、元の鐘樓は天仁元年の建立なり夫より二百三十年を經て建武四年野火の災に焼失せり、後康永二年賴榮法師再び鑄造せり、賴榮は金色院の住僧なり。
▲寶蔵
金色堂の東北鐘樓と相對し明治三十三年の建設にして一山の重寶を陳列し廣く公衆の参觀に便せり。(「岩手県町村誌」より)

中尊寺栞による中尊寺の縁起

天台宗東北大本山。八五〇年、慈覚大師円仁の開山。12世紀初め奥州藤原氏初代清衡公が前九年・後三年の合戦で亡くなった命を平等に供養し、仏国土を建設するため大伽藍を造営しました。惜しくも14世紀に堂塔の多くは焼失しましたが、金色堂始め三千余点の国宝・重要文化財を伝える平安仏教美術の宝庫です。
「平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群ー」としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。(中尊寺栞より)


中尊寺所蔵の文化財

  • 中尊寺境内(特別史跡・世界遺産)
  • 金色堂(国宝)
  • 中尊寺経(国宝)
  • 経蔵(重要文化財)

中尊寺境内

前九年合戦・後三年合戦の後、奥州藤原氏初代清衡公は、奥州世界の中心、関山丘陵に中尊寺の造営を始め、大伽藍を完成させました。「吾妻鏡」に記される堂塔四十余宇、禅坊三百余宇の内、金色堂が現存するほか、発掘調査で平安後期(12世紀)の堂宇跡や、大池、三重の池などの園池跡が確認されています。
境内は、周囲5.4キロメートル、面積約134万平方メートルにおよびます。
平安後期における奥州藤原氏の東北経営を考える上での重要な歴史的意義に鑑み、特別史跡に指定されています。(境内掲示より)

金色堂

天治元年(一一二四)の造立で、現存する唯一の創建遺構です。ご本尊は阿弥陀如来、脇侍に観音・勢至菩薩、さらに六体の地蔵菩薩と持国天・増長天が本尊を取り巻いています。堂全体を金箔で覆い、皆金色の極楽浄土を現世に表しています。
内陣は螺鈿細工・蒔絵などの漆工芸や精緻な彫金で荘厳され、平安仏教美術の最高峰をなしています。
中央の須弥壇の内に初代清衡公、向かって左の壇に二代基衡公、右の壇に三代秀衡公のご遺体と四代泰衡公の首級が納められています。(中尊寺栞より)

中尊寺経

紺紙に金字行・銀字行を一行ずつ交書した清衡公発願の「金銀字交書一切経」、変化に富む見返し絵が貴重な秀衡公発願の「金字一切経」。共に日本の写経史上の頂点を示すものです。
六月第二日曜日の「法華経一日頓写経会」は百名を超える参加者で、「写経の寺」の威風を今に伝える行事です。(中尊寺栞より)

中尊寺の周辺図


参考資料

  • 「盛岡の寺院」(平泉町仏教会)