妙傳寺|佐倉市臼井台にある日蓮宗寺院

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暁慶山妙傳寺|平賀本土寺第3世日伝上人創建

妙傳寺の概要

佐倉市臼井台にある日蓮宗寺院の妙傳寺は、暁慶山と号します。妙傳寺は、九老僧の一人で本土寺第三世の日伝上人が弘安6年(1283)に創建、臼井城大手門近く(石神)にあったといいます。その後臼井氏を中興した臼井興胤が臼井城を整備、その頃に当地へ移転したのではないかと推測されています。うすい花の寺八ヶ寺の「梅の寺」です。

妙傳寺
妙傳寺の概要
山号 暁慶山
院号 -
寺号 妙傳寺
住所 佐倉市臼井台31
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



妙傳寺の縁起

妙傳寺は、九老僧の一人で本土寺第三世の日伝上人が弘安6年(1283)に創建、臼井城大手門近く(石神)にあったといいます。その後臼井氏を中興した臼井興胤が臼井城を整備、その頃に当地へ移転したのではないかと推測されています。

「印旛郡誌」による妙傳寺の縁起

妙傳寺
臼井臺町字大名宿にあり暁慶山と號す一致派の日蓮宗にして平賀本土寺の末寺なり本尊を釋迦牟尼佛とす法橋定朝の作なりと云ふ日朝門下九老の一人日傳上人の開基なり弘安六年正月十三日創立舊臼井城大手門の東にあり年代不詳今の處に移る鐘樓門二間奥行二間堂宇間口六間半奥行五間あり鐘は寶暦七年の鋳造とす寺内五百四十九坪(民有地第一種)加藤肥州の廟あり清正堂と云ふ由緒不詳建物間口二間奥行九尺毎年八月十四日を以て祭日となす賽客遠近より群集す寛永中臺町篁氏の庭中より遷せしものなりと云ふ小島宏造を住職とし檀徒一千百八人管轄廳まで四里十八町あり(寺院明細帳郷土誌)(「印旛郡誌」より)

「佐倉市史」による妙傳寺の縁起

妙伝寺(臼井台町)
本土寺末であった。本尊釈迦如来。開創は本土寺三世日伝上人の弘安六(一二八三)年というが詳かでない。当寺は中世には臼井城大手門(本丸の大手門ではない)に近く向って左側にあった。天正五年の臼井郷図は旧位置に「暁慶山妙伝寺、古ヤシキ、日蓮」と書きいれてある。附近一帯は石神村の地であったと思われるが、旧志津村の井野に移った千手院もこの妙伝寺の旧地に近く、同図に「蓮萃院、真言」とその位置を明記している(石神村の蓮萃院は井野に移って千手院といったととは別項で述べた)。妙伝寺と蓮萃院の旧地一帯は「町家アト今畑」と所々に記入してある。これらのことから察すると、中世の石神村は廃れて、臼井氏中興といわれる興胤代に臼井城が整備され、この頃それぞれ移建したものではあるまいか。この当時、他の近くに移った寺は右の天正の図から拾うと外に宗徳寺、浄行寺(日蓮宗)光勝寺・観喜院等がある。要するに一四世紀の中頃、臼井城井城下町の計画的な施設からこの妙伝寺も移転したものと思われる。
なお当寺には寺宝として日明上人の真筆と伝える曼荼羅が蔵されていること、また本尊釈迦如来の像は彫刻の様式としては鎌倉期の特色をあらわすものであろうとも見られるが伝来の年次等は不明である。これらのことから、当寺が鎌倉時代に創建されたと見られる一つの手がかりとなる。鎌倉時代の開創とすれば市内における最古の日蓮宗寺院である。当寺の本寺たる本土寺の日朗による開創(一二七七)から七年後(一二八三)のことになり、中山の法華経寺よりは二十余年の後ということになる。(「佐倉市史」より)


妙傳寺の周辺図