長国寺|佐倉市飯塚にある日蓮宗寺院

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常照山長国寺|原左衛門景広朗真開基

長国寺の概要

佐倉市飯塚にある日蓮宗寺院の長国寺は、常照山と号します。長国寺は、原左衛門景広朗真(長享元年1487年寂)を開基として、その二男智照院日従(原長国)が長享元年(1487)に開山したといいます。

長国寺
長国寺の概要
山号 常照山
院号 -
寺号 長国寺
住所 佐倉市飯塚96-1
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



長国寺の縁起

長国寺は、原左衛門景広朗真(長享元年1487年寂)を開基として、その二男智照院日従(原長国)が長享元年(1487)に開山したといいます。

「印旛郡誌」による長国寺の縁起

長國寺
飯塚區字角田台にあり日蓮宗一致派に屬し正法寺の末寺なり釋迦如来を本尊とす長享元丁未年二月の創立にかかり堂宇方五間半庫裏間口六間半奥行四間半境内四百八十五坪(民有地第一種)あり檀徒二百四十七人にして中島養浩が住職たり管轄廳まで三里二十二間境内堂宇一宇あり即
一、釋迦堂 釋迦如来を本尊とす由緒不詳建物間口九尺奥行二間(寺院明細帳)(「印旛郡誌」より)

「佐倉市史」による長国寺の縁起

長国寺(飯塚)
日蓮宗正法寺末であった。本尊は釈迦如来。当寺の本寺であった妙高山正法寺(山武郡大和村小西字堂前)は平賀本土寺九世日意上人の開創による名刹である。正法寺は長禄二戌寅(一四五八)年、当時の郷主原能登守胤継(肥前入道行朝)、深く日意を尊信し、阿弥陀堂を廃して法萃堂とし、平賀の日意上人に請うて開山としたという。後、両総三檀林の一として小西檀林と呼んだ名刹となった。長国寺は正法寺末といえ、同寺が平賀の日意の開山である故、岩富の諸寺と同じく本土寺の教線が伸びた結果によるものである。随って弥富南部地方の日蓮宗は本土寺一色であったともいえる。さて、長国寺の開基は長享元丁未(一四八七)年二月、原左衛門尉朗真、開山は日従(朗真二男)である。開基の朗真は教蔵寺過去帳には”原左衛門景広朗真、明応八己末十月”と出ているが、景広の法号は千葉大系図には朗弥とあるのでこの点は一致しないが、岩富の長福寺開基の景弘と同人物であると見てよいであろう。何れにせよ長国寺の創立は、岩富長福寺の創立から十七年後のことで、岩富城主景弘の時代であった。
以上の諸寺は本土寺末として、原氏・粟飯原氏の帰依によりその保護によって当地方に於ける日蓮宗の隆盛をもたらしたものであって、即ち武家の強力な支援によるものであった。本山平賀本土寺には有名な過去帳があるが、その中には、末寺たる長福寺その他の寺の過去帳にも書いてない多くの法号を載せている。それが多くは原氏・粟飯原氏等を取まくヤトミ衆としての家臣団、或は農民の法号とも見られるのが多い。これは長福寺開創前後、特に日意上人は教勢拡張のため席の温まる暇もなかったかと察せられるので、当地の本土末寺創立の頃は本寺である平賀本土寺で回向していたことを物語るものではあるまいか。(「佐倉市史」より)


長国寺の周辺図


参考資料

  • 「印旛郡誌」
  • 「佐倉市史」
  • 「日蓮宗寺院大鑑」