正法寺|日蓮宗本山、大網白里市小西にある日蓮宗寺院

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妙高山正法寺|小西檀林、日蓮宗の由緒寺院

正法寺の概要

日蓮宗寺院の正法寺は、妙高山と号し、日蓮宗の本山です。正法寺は、小西城主原胤継が、長禄2年(1458)日意上人を本土寺より招請して開山、天正18年(1590)には日悟が檀林(僧侶育成学問所)を設置、翌年には関東に入国した徳川家康から寺領20石を寄進されたといいます。地名より小西檀林と称され、学僧九百人余を擁していました。本堂は、寛文4年(1664)に幕府より寄贈され東金御殿を、寛文11年移築したもので、大網白里市有形文化財に指定されています。明治維新後、檀林は廃したものの、日蓮宗の由緒寺院とされる日蓮宗の本山寺院です。

正法寺
正法寺の概要
山号 妙高山
院号 -
寺号 正法寺
住所 大網白里市小西755
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



正法寺の縁起

正法寺は、小西城主原胤継が、長禄2年(1458)日意上人を本土寺より招請して開山、天正18年(1590)には日悟が檀林(僧侶育成学問所)を設置、翌年には関東に入国した徳川家康から寺領20石を寄進されたといいます。地名より小西檀林と称され、学僧九百人余を擁していました。本堂は、寛文4年(1664)に幕府より寄贈され東金御殿を、寛文11年移築したもので、大網白里市有形文化財に指定されています。明治維新後、檀林は廃したものの、日蓮宗の由緒寺院とされる日蓮宗の本山寺院です。

「稿本千葉県史」による正法寺の縁起

妙高山正法寺
同村(山武郡旧山邊郡大和村)大字小西字殿前に在り、境内二千五百八十四坪、日蓮宗なり、もと兩總三檀林の一にて人呼んで小西檀林と云ひ、獨立無本山の本寺たり、末寺十二寺あり。寺傳に云ふ、長禄二年正月郷主肥前守行朝深く僧日意に歸依し、遂に其の居館を捐てて佛宇と爲し正法寺と號す、天正十八年十一月僧日悟檀林を設置すと。十九年十一月徳川家康寺領二十石を寄す、寛文四年十一月僧日堯徳川氏東金町の行館を賜ひて之を寺内に移す、今の講堂是なり、堂宇宏大にして内外皆葵章を施せり、維新の後檀林を罷む、寺に種々の什寶を蔵む、就中十二ヶ月の古畫軸最も珍奇なり。(「稿本千葉県史」より)


正法寺所蔵の文化財

  • 正法寺の講堂・中門及び額(大網白里市市指定有形文化財)

正法寺の講堂・中門及び額

この寺は長禄二年(一四五八)小西城主原胤継が、日意上人を招いて開山した。江戸時代には関東法華三檀林のひとつと称され、学僧九百人余を擁したといわれる。
講堂(本堂)は、将軍の鷹狩の宿舎、東金御殿にあったものを、四代将軍家綱の代に寄贈を受け、寛文十一年(一六七一)移築したもので、玄関と屋根に葵の紋がある。
中門は、延宝六年(一六七八)建立といわれ、唐様の切妻造四脚門で、虹梁に浮彫された象の頭部に特色がある。
正面の扁額「妙高山」は、後西天皇の皇女理豊の宮の手によるものといわれ、中央上段に菊の御紋章がある。(大網白里市教育委員会掲示より)

正法寺の周辺図