南花島春日神社|松戸市南花島の神社

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南花島春日神社|松戸市南花島の神社

南花島春日神社の概要

南花島春日神社は、松戸市南花島にある神社です。南花島春日神社は、(室町時代の)曾谷城落城により当地へ逃れてきた芹澤忠右衛門(花島氏)が、背負ってきた曾谷妙見を曾谷に向けて奉祀、妙見社と称していたといいます。明治維新後、春日神社と改称、改称の理由について「千葉縣東葛飾郡誌」では当時の神官田中氏が藤原姓だからではないかと記しています。

南花島春日神社
春日神社の概要
社号 春日神社
祭神 天兒屋根命
相殿 -
境内社 -
住所 千葉県松戸市南花島3-56-3
祭日 10月22日前後
備考 -



南花島春日神社の由緒

南花島春日神社は、(室町時代の)曾谷城落城により当地へ逃れてきた芹澤忠右衛門(花島氏)が、背負ってきた曾谷妙見を曾谷に向けて奉祀、妙見社と称していたといいます。明治維新後、春日神社と改称、改称の理由について「千葉縣東葛飾郡誌」では当時の神官田中氏が藤原姓だからではないかと記しています。

「千葉県神社名鑑」による南花島春日神社の由緒

由緒に関する記載なし(「千葉県神社名鑑」より)

「千葉縣東葛飾郡誌」による南花島春日神社の由緒

(明村)春日神社
南花島にあり、天兒屋根命を祀る。
花島妙見社故事
曾谷落城して、其族臣の四散するや、老臣芹澤忠右衛門(芹澤は今の氏なり、其頃花島を稱せしが芹澤を稱せしか不明なり)曾谷妙見を背負ひ此地に来り妙見社を奉祀す(傳説及安國寺口碑)時は極月晦日なれども落葉の音にも心置く落人の身には餅搗く暇もあらばこそ、桟俵を作りて飯を盛り以て正月の供物とせりと此事家例なり、當主芹澤勘次郎氏に至る迄、毎年歳末には餅を搗かず大晦日は桟俵を作り握飯を焼いて家人必ず一個椀を食し、元日二日三日四日は赤飯を神に捧げ五日に至りて初めて餅を搗くと云ふ、此妙見社は曾谷より来りたればとて曾谷に向ひて奉祀せしを維新の際、春日神社と改稱せしは蓋し神官田中氏が藤原姓なるより茲に出でしものか、近き頃まで中山氏の主祭に當りては芹澤氏の立會を要せしと傳ふ。
中山法華経寺蔵する所の掛軸に芹澤忠右衛門とあるを見れば芹澤氏又一に花島氏を稱せしならん戰國の末小金高城氏の臣に花島勘解由あり、侍大将格として活躍せり思ふに芹澤氏此地に逃れ妙見社を奉祀して其附近に占據し、次て高城氏に屬して武将たりしならん、今芹澤氏所蔵中瑠璃の生玉(季節に依りて目と稱する班點の大小色彩を變ず經八分餘)及日蓮の親筆(金泥文字の題目掛軸)あり、或は此の掛軸は祖師の曾谷教信に與へしものに非ざるか、今尚ほ芹澤氏が曾谷安國寺に歸依し又其の家紋九曜紋を用ゆるを見ても其消息を窺ふに足らん。 (「千葉縣東葛飾郡誌」より)


南花島春日神社の周辺図


参考資料

  • 「千葉縣東葛飾郡誌」
  • 「千葉県神社名鑑」