妙蓮寺|鎌ケ谷市東道野辺にある日蓮宗寺院

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真中山妙蓮寺|日蓮上人の母妙蓮の御生誕地

妙蓮寺の概要

鎌ケ谷市東道野辺にある日蓮宗寺院の妙蓮寺は、真中山と号します。妙蓮寺は、日蓮上人の母妙蓮の兄大野右衛門太夫政清(鈴木右京と改名)の所有地に弘安6年(1283)創建、三位公日進上人が開山したといいます。日蓮上人の母妙蓮の御生誕地です。

妙蓮寺
妙蓮寺の概要
山号 真中山
院号 -
寺号 妙蓮寺
住所 鎌ケ谷市東道野辺1-9-35
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



妙蓮寺の縁起

妙蓮寺は、日蓮上人の母妙蓮の兄大野右衛門太夫政清(鈴木右京と改名)の所有地に弘安6年(1283)創建、三位公日進上人が開山したといいます。日蓮上人の母妙蓮の御生誕地です。

「鎌ケ谷市史(上巻) 」による妙蓮寺の縁起

妙蓮寺-道野辺村-
道野辺村字東城・西城に所在した。法華経寺(葛飾郡中山村現市川市に所在した日蓮宗五大本山の一つ。朱印高五〇石一斗余。下総国を中心に、天明年間(一七八一~八九)には末寺二〇〇か寺を擁した)の末寺である。本尊は釈迦仏・多宝仏・日蓮大菩薩であり、日蓮の直弟子の日進によって弘安六年(一二八三)に創立されたと伝えられていた。本堂のほかに、釈迦堂が一宇あり、釈迦牟尼仏を本尊としている。檀徒の人員は五五人である(以上「県寺院明細帳」)。
他方、文政八年(一八二五)八月に記され、法華経寺へと提出された「寺起立草創」という史料の写が現存している(『市史』資料編Ⅲ・下No一七〇)。この史料では、冒頭に、妙蓮寺の寺地がもともと日蓮の母妙蓮の兄大野右衛門太夫政清(のち鈴木右京と改名)の所有地であると記され、また、日蓮が法華経寺奥の院で百座説法を行なった時、政清宅において三日・三夜の説法・教化を行なったと伝えている。その後、日真が当地に訪れた際に、政清の土地の一部を裂いて一宇を建立させたということが記載されている。実際、中世第五編第一章でも述べられているように、中世後半期には、妙蓮寺の名は確実にみられ、すでに道野辺村の村民の信仰の中心であったことが推定できる。なお、この史料には第一世から第四四世の歴代の名が記されているが、一五世日量の代(一七世紀末ごろ)に客殿を再建したことが記されている。(「鎌ケ谷市史(上巻) 」より)

「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」による妙蓮寺の縁起

妙蓮寺
日蓮宗。法華経寺末。本尊は釈迦仏・多宝仏・日蓮大菩薩。道野辺字東城(現東道野辺一丁目九番五号)に所在する。境内に釈迦堂がある。当地は、日蓮の母妙蓮尼の生まれた土地であるので、寺号を妙蓮寺としたと伝えられている。道野辺の全体と軽井沢の一部が檀家である。(「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」より)


妙蓮寺の周辺図


参考資料

  • 鎌ケ谷市史(上巻)
  • 鎌ヶ谷市史資料編(民俗)