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横浜妙音寺。横浜市南区三春台にある日蓮宗の寺院

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横浜妙音寺の概要

日蓮宗寺院の妙音寺は、経力山と号します。妙音寺の創建年代は不詳ですが、鎌倉本山妙本寺の塔頭として創建、妙音院日研聖人が中興となり神奈川県海老名市への移転(大正元年)を経て当地に移転、大明院日光聖人が中興第二世となり再建を果たしたといいます。

妙音寺
妙音寺の概要
山号 経力山
院号 -
寺号 妙音寺
住所 横浜市南区三春台73
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



横浜妙音寺の縁起

妙音寺の創建年代は不詳ですが、鎌倉本山妙本寺の塔頭として創建、妙音院日研聖人が中興となり神奈川県海老名市への移転(大正元年)を経て当地に移転、大明院日光聖人が中興第二世となり再建を果たしたといいます。大明院日光聖人は妙音院日研聖人の弟子で江戸川常龍寺・磯子妙蓮寺を建立、寺門の隆昌に尽くしたといいます。

境内掲示による妙音寺の縁起

抑抑経力山妙音寺は開山日蓮大聖人である。二世は六老僧大国阿闍梨日朗聖人です。開基は九老僧妙音阿闍梨日行聖人で当山は、鎌倉本山妙本寺の山門に有り本山の重要なる寺としてあったが、焼失し大正元年の春、当山中興開山妙音寺日研聖人が神奈川県海老名市内に建立しその後、本堂妙音院も荒廃すると共に田舎なので広宣流布が出来ない為等が重なり妙音院をこの久保山の地に移転し当時境内に六百坪余再建立せり。本堂、尊神堂、庫裏、客殿、荒行堂、大池、地蔵尊堂等が有り弟子等数十名、又学僧等おり当時東京大崎の日蓮宗大学(現在、立正大学)に多くの学僧がこの寺より通学していた。
建立後大東亜戦争のさなか昭和二十年五月二十九日の大空襲により全山ことごとく焼失してしまった。
その後妙音院日研聖人の壱番弟子である磯子区田中町妙蓮寺住職当山の中興二祖大明院日光聖人を呼び是非共再建立して下されとたのまれ日光聖人は妙蓮寺の席と常龍寺の席をなげ打って来た。東京都内常龍寺を建立し又妙蓮寺を建立し過労している所であったが、師僧の為と想い当山に入山する事を決意したが当山に来寺すると小さくて法務が出来ないので三十坪余り土地を八十三坪にし又、百三十三坪にし、二百三十三坪にしてやがて当山の大本堂再建復興の決意をした。
師僧の報恩一筋にと想い仏天の加護並びに檀信徒各位の協力を得て再建期成委員を呼集し工事地鎮祭の直後、大過労の為ついに黄泉の途につかれた。
嗚呼中興二祖大明院日光聖人(昭和三十九年六月七日、六十三歳にて遷化)
この処に御意志の如く大本堂が完成せり。
昭和四十一年五月十五日日光聖人第三回忌
経日
我此土安穏、天人常充満
園林諸堂客、種種宝荘厳
合掌
日光聖人の弟子、日範上人は壱番弟子日祟上人(大覚院日祟)に当山の席をと第五世日祟とし、二番弟子日淳上人には、別院妙経寺(妙経殿)を建立し、弟子の為に大改築と建立にて決心され、心願成就された。
日淳上人(大善院日淳)を妙経(妙経殿)第二世日淳とし、二人の弟子の道を開いた。
経力山妙音寺と安穏山妙経寺(妙経殿)寺門隆昌をここに祈念する。(境内掲示より)

新編相模風土記稿による妙音寺の縁起

妙本寺塔頭
妙音坊・南之坊・玄了坊・大円坊・善行坊・本成坊・朗慶坊・法泉坊・西之坊・大林坊・龍華坊(新編相模風土記稿大町村妙本寺項より)

横浜妙音寺の周辺図


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