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壽徳寺|多摩市桜ケ丘にある曹洞宗寺院

壽徳寺の概要

曹洞宗寺院の壽徳寺は、吉祥山と号します。壽徳寺は、念阿法印護法が明徳元年(1390)に真言宗寺院として創建、その後廃寺状態となっていいたものの、佐伯三河守道也がその父佐伯一助道永の菩提を弔うために再建、日舜宗榮を開山として曹洞宗寺院に改めたといい、慶安年間(1648-1651)には江戸幕府より寺領7石の御朱印状を拝領したといいます。

壽徳寺
壽徳寺の概要
山号 吉祥山
院号 -
寺号 壽徳寺
宗派 曹洞宗
住所 多摩市桜ケ丘4-26-3
葬儀・墓地 -
備考 -



壽徳寺の縁起

壽徳寺は、念阿法印護法が明徳元年(1390)に真言宗寺院として創建、その後廃寺状態となっていいたものの、佐伯三河守道也がその父佐伯一助道永の菩提を弔うために再建、日舜宗榮を開山として曹洞宗寺院に改めたといい、慶安年間(1648-1651)には江戸幕府より寺領7石の御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による壽徳寺の縁起

(寺方村)壽徳寺
村の南の方にあり、曹洞宗、小山田村大泉寺末なり、吉祥山護法院と號す、當寺古は真言宗にて、明徳元年僧念阿と云もの草創せり、その後しばらく廢寺となりしに、佐伯一助道永再建して、日舜宗榮と云僧を開山とせりと、曹洞の禅に改めしも、この比のことなるべしといへり、宗榮は天正八年十二月十五日示寂す、慶安年中に至りて、寺領七石の御朱印を賜はれり、即境内も寺領の地なりといへり。
惣門。
中門。兩控作なり、惣門を入て二町餘にあり。
本堂。七間に十一間、西向なり、本尊十一面観音は木の坐像にして、長六寸惠心僧都の作なり。
鐘楼。本堂の前にあり、鐘の高さ三尺、元禄十五年に鑄し由を刻す。
山神社。境内にあり、小社にして九尺に二間の覆屋あり、前に鳥居を立、例祭年々九月十七日、村内の鎮守なり。
八幡社。これも同所にて、山神社よりは東にあり、社も大抵山神に同じ、例祭年々八月十五日に執行ふ。
寮。門を入て左にあり、三間に六間。(新編武蔵風土記稿より)

「多摩市史」による壽徳寺の縁起

【寿徳寺】寿徳寺は、明徳元年(一三九〇)二月十五日、念阿法印護法という真言宗の僧が一庵を建てたことにはじまるといわれている。その後、天文十年(一五四一)十月二十八日にいたり、日舜宗慧によって再興開山された時に曹洞宗に改められた。しかし、これらはやや伝説に近く、確定しがたい。近世の史料によれば、寺院の新地改めに際して、貞享五年(一六八八)七月二十五日に差し出された代官宛文書に、「中興開山永禄元年(一五五八)より当年迄百三拾壱年二罷成侯」と記されている。
一方、再興時の開基については、佐伯一助道永との関連が伝えられている。道氷は、陸奥に出陣して戦死し、道永の嫡男佐伯三河守道也が、父の回向のため日舜宗慧を開山として再興したのである。開基は佐伯一助道永居士となっている。
近世の寺院は本末体制によって掌握されていたが、寿徳寺の本寺は足立郡大久保村の大泉院(埼玉県浦和市)である。『風土記稿』には、「小山田村大泉寺末なり」とあるが、これは誤認である。
寿徳寺は寺方村の名のおこりともいい、その由来について『武蔵名所図会』は、「この地に佐伯氏が寺を再建せしとき、この地を寺領に寄附せしゆえ、終に村名を『寺の分』 と称するより、いまに至るまで寺分村と唱うる由」と記している。
その後、元禄十六年(一七〇三)、天保元年(一八三〇)、明治三十八年(一九〇五)と、三度の火災のたびに再建されたが、古文書・経巻などの貴重品が多数焼失してしまったことは、非常に残念なことである。寺領は近世を通じて七石で、朱印地であるが、朱印状は残存していない。
寿徳寺の末寺には観蔵院高西寺・大福寺の他、現在は廃寺になっている熊慶寺(関戸)・竜泉寺(乞田)・東医庵(寺方)・一放庵(寺方)がある。(「多摩市史」より)


壽徳寺の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「多摩市史」