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補陀山大泉寺|町田市下小山田町にある曹洞宗寺院

大泉寺の概要

曹洞宗寺院の大泉寺は、補陀山水月院と号します。大泉寺は、小山田別當有重が開基となり、小山田有重が居住していた当地に安貞元年(1228)に起立、無極(永享2年1430年寂)が曹洞宗寺院として開山したといいます。江戸時代には寺領8石の御朱印状を拝領していました。武相卯歳観音霊場四十八ヶ所11番です。

大泉寺
大泉寺の概要
山号 補陀山
院号 水月院
寺号 大泉寺
住所 町田市下小山田町332
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 武相卯歳観音霊場四十八ヶ所11番



大泉寺の縁起

大泉寺は、小山田別當有重が開基となり、小山田有重が居住していた当地に安貞元年(1228)に起立、無極(永享2年1430年寂)が曹洞宗寺院として開山したといいます。江戸時代には寺領8石の御朱印状を拝領していました。

新編武蔵風土記稿による大泉寺の縁起

(下小山田村)大泉寺
村の東北にあり、補陀山水月院と號す、曹洞宗、入間郡越生龍穏寺末山なり、寺領八石の御朱印を賜へり、安貞元年二月十五日の起立なり、相傳ふ、當寺境内は小山田別當有重が居住のあとなり、よりて有重が為に開基せし所なりと云、有重の法諡を大仙寺天桂椙公と號す、寺號はその字をとりしなるべし、仙と泉とは同音の字なり、開山の僧を無極と云、永享二年二月二十八日寂す、
門。二間四方、本堂の正面にあり、
本堂、十一間半に七間半、南向なり、本尊釈迦木の坐像、長二尺ばかり。
鐘楼、本堂に向て左にあり、二間四方、鐘の径二尺五寸、高さ三尺八寸、享保十七年の銘文を彫る。
開山堂、これも左の方にあり、四間に五間ばかり。
禅堂、本堂の西にあり、五間半に四間、釈迦の木像を安ず、長八寸ばかり。
衆寮、本堂に向て左にあり、五間半に五間。
観音堂、本堂の東にあたれる山上にあり、三間四方にして西向なり、本尊正観音は木の立像にて長一尺ばかり、行基菩薩の作と云、前に石階五十四級あり。
隠寮、観音堂に向て左にあり。
秋葉社、隠寮の向ひにあり、神体は長二尺五寸許の立像也、小社にて覆屋あり、傍に神楽堂あり、年々三月廿三日、九月十七日を例祭の日となす。
宇津宮社、境内にあり、則寺内の鎮守なり、祭神詳ならず、小社にて前に鳥居をたつ。(新編武蔵風土記稿より)

「町田市史」による大泉寺の縁起

大泉寺(下小山田町)
所在地 町田市下小山田町。
宗派 曹洞宗。入間郡越生龍穏寺末であったが、今は本山永平寺末。小山田与清の門下千葉建胤の「松屋先生称号再興記」に、「高昌寺真言宗。後遷其地、改其宗門寺名称曹洞宗大泉寺」とある。
山寺号 補陀山水月院大泉寺。
開山。無極、永享二年(一四三〇)一二月二八日示寂。この寺は、もと小山田別当有重以来の小山田氏舘跡に開山されたので、その法号、大仙寺天柱椙公よりとって寺号とし、開基ともした。
朱印 寺領八石。
本尊。釈迦、木座像、長二尺。
堂塔。『風土記稿』に、本堂・鐘楼・開山堂・禅堂・衆寮・観音堂・隠寮すべてととのった町田地方の大寺とあるが、今 もその面影をとどめている。
本堂。『風土記稿』に一一間半に七間半南向とあった旧本堂は、元禄年間創建といわれたが、惜しくも昭和四五年三月三一日焼失。新本堂が昭和四六年一一月八日新築落成した。鉄筋コンクリート造り、屋根は入母屋千鳥破風付銅葺。向拝三間に二間。それに一八坪の開山堂がついていて、総面積九〇坪。開山堂には、開山無極恵徹像が安置されている。高二尺二寸五分。京都仏師宗心作。昭和三六年一月三一日東京都重宝の指定を受けた。
経堂 前庭左側に一面九尺の六角堂があってこれが経堂である。扇ダルキ、寄棟御堂形銅屋根。
鐘楼 二間四面、これも鉄筋に寄棟銅葺。梵鐘には、昭和四六年一一月八日三九世秀巌国定と刻してある。
庫裡。客殿と合わせて一二〇坪。木造平屋、瓦屋根、外部羽目板張。玄間唐破風。
山門。楼門。仏教上四方鎮護の守護神、持国天・増長天・広目天・多聞天を東西南北に祀り、二階には十六羅漢の木像を配置してある。三間半に三間正面に無極場の額を掲げる。
弁天堂 楼門外右側の石段六六段の墳塚上に、周囲に池をめぐらして、九尺四面、唐破風入母屋亜鉛葺の小堂があり、四尺の廊を三方にめぐらしている。
総門 六本柱の冠木門。総欅銅葺、三間に三間、左右に一間と二間の袖垣をつけた。
観音堂 前面に五五段の石階がある。三間半に三間、九尺に九尺の流向拝を持ち、また一間廊を四方にめぐらした木造入母屋造り。二重棰である。『風土記稿』には、「本尊正観音は木の立像にて、長一尺ばかり、行基菩薩の作と云」とあるが十一面観音のようである。
神楽堂 三間に三間。 亜鉛葺、古風な舞台で珍しい。
秋葉社。火防の神である。これは観音堂よりさらに二五段の石段を上ったととろ、拝殿三間半に三間、九尺四面の向拝がつく。また、三尺廊が三方にめぐる。神殿二間四面。屋根入母屋亜鉛葺。『風土記稿』に、「神体は長二尺五寸ばかりの立像也」とあるが、長年雨露にさらされていた時代があって、今は見当たらない。拝殿の格天井に描かれた花丸なども、戦前にはみるべきものであったが、もはや色あせて美術的価値はなくなった。しかし、大泉寺にとっては、このようなことは九牛の一毛であって、なんといっても、町田市屈指の大寺である。雲を突く境内の大樹と、広大な閑寂境、その奥深くは、小山田有重・行重・高家等の墓碑もみられる。観音馬場の細く長い周辺には満開の桜も静かに観賞できるのである。
付記して後学に待ちたいのは、越後の歌僧良寛が安永三年(一七七四)新潟県出雲崎町尼瀬の光照寺で得度した玄乗破了和尚がこの寺の二九世であった人で、同じ良寛が、この五年後の安永八年(一七七九)に弟子入した備中玉島円通寺の大忍国仙和尚もまた、この大泉寺二五世であった。大泉寺には良寛も修行していたと伝承せられるがどう考察されるべきかであろう。玄乗破了は、大泉寺二七世絶峰義孝、二八世大英圭邦、三〇世蘭香栄秀 三二世大恭仙倫等とともに皆大忍国仙の法嗣でもあった。(「町田市史」より)


大泉寺の周辺図


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参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「町田市史」