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平水山壽徳寺|日野市南平にある真言宗智山派寺院

壽徳寺の概要

真言宗智山派寺院の壽徳寺は、平水山と号します。壽徳寺は、天文元年(1532)平家一族の発願により堂宇を建立開基、平水山薬師院壽徳寺と号し、平村の八坂神社熊野神社の別当を勤めていたとたといいます。多摩八十八ヶ所霊場87番です。

壽徳寺
壽徳寺の概要
山号 平水山
院号 -
寺号 壽徳寺
住所 日野市南平4-11-10
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



壽徳寺の縁起

壽徳寺は、天文元年(1532)平家一族の発願により堂宇を建立開基、平水山薬師院壽徳寺と号し、平村の八坂神社熊野神社の別当を勤めていたとたといいます。

新編武蔵風土記稿による壽徳寺の縁起

(平村)(牛頭天王社)別當壽福寺
境内、百五十坪、牛頭天王の傍にあり、これも永禄のころのものに持徳寺といふあり、すなはち當寺のことなるべし、新義真言宗、高幡村金剛寺末、平水山と號す、開山開基詳ならず、本尊大日の坐像長一尺三寸、本堂九間に六間半南向にして、境内は神領の内なり。
薬師堂。本堂の前にあり九尺四方の堂なり、薬師は坐像にして長一尺五寸なり。(新編武蔵風土記稿より)

日野市史による壽徳寺の縁起

寿徳寺 南平四-一一-一〇
平水山と号し、真言宗智山派高幡山金剛寺末であった。四代将軍徳川家綱の代に村内牛頭天王並びに熊野権現両社の別当として、両社領七石五斗に合わせて当寺門前並びに寺中山林竹木諸役等免除の朱印状を受けた。
旧本堂は、間口九間・奥行六間半寄横棟造萱葺きで南向き、宝永元年(一七〇四)の改築と伝えられ、現本堂は昭和四十四年改築したものである。本尊大日如来坐像並びに薬師如来坐像・十二神将を安置する。薬師如来像は往時本堂前にあった九尺四面の薬師堂に安置されていたものである。
寺伝によれば、天文元年(一五三二)平家一族の発願により堂宇を建立開基され、平水山薬師院寿徳寺と号した。同十七年薬師像造立。文禄二年(一五九三)中興開山法印良誉(元和三年[一六一七]十月六日寂)により堂宇を再興した。
本尊大日如来-木の坐像、高さ一尺三寸、厨子内に安置され、宝永元年(一七〇四)当寺六世清秀の代に、高幡山金剛寺十八世祐盛和上 (享保十九[一七三四]四月寂)によって開眼供養された。阿弥陀如来坐像は、右とほぼ同年代の作と推測されている。薬師如来-木の坐像、高さ約一尺五寸、天文十七年(一五四八)造像と伝えられ、十二神将が侍立する。不動明王-木の立像、高さ的一尺五寸、二童子が侍立する。宝永年間(一七〇四~一七一一)作と推定されている。日光・月光両菩薩-元禄年間(一六八八~一七〇四)江戸万屋万兵衛寄進と伝える。客殿に安置する。
梵鐘-高さ二尺八寸、直径約一尺五寸、内径約一尺二寸、享保八年正月十六日開眼供養された。鋳匠は横川(八王子市)加藤甚助。
宝筐印塔-現本堂前南東の方角にある、石造で高さ約十尺、市域では浅川以南の地域で宝筐印塔のあるのは、高幡山金剛寺と本寺のみである。
本寺は多摩四国八十八か所霊場の第八十七番の札所である。(日野市史より)


壽徳寺の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 日野市史