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六所山長楽寺|日野市程久保にある真言宗豊山派寺院

長楽寺の概要

真言宗豊山派寺院の長楽寺は、六所山長命院と号します。長楽寺は、代官渡辺与兵衛が開山頼音和尚に帰依し、数千坪を寄進して、元和6年(1620)角筈村(新宿区)に堂宇を建立、徳川家綱が大国魂神社参詣に際して、真筆をもって六所山の山号を与えられたといいます。往事には弟子等100名を擁していたものの太平洋戦争で被災、昭和35年当地へ移転したといいます。御府内八十八ヶ所霊場25番です。

長楽寺
長楽寺の概要
山号 六所山
院号 長命院
寺号 長楽寺
住所 日野市程久保8-49-18
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



長楽寺の縁起

長楽寺は、代官渡辺与兵衛が開山頼音和尚に帰依し、数千坪を寄進して、元和6年(1620)角筈村(新宿区)に堂宇を建立、徳川家綱が大国魂神社参詣に際して、真筆をもって六所山の山号を与えられたといいます。往事には弟子等100名を擁していたものの太平洋戦争で被災、昭和35年当地へ移転したといいます。

新編武蔵風土記稿による長楽寺の縁起

(角筈村)長楽寺
同宗(新義真言宗)多摩郡中野村宝仙寺末、六所山長命院と号す。当寺も多聞院と同く與兵衛の開基する所なり。開山頼音、慶安三年十二月二十九日寂。本尊不動を置。寺傳に当山を六所と号せるは昔厳有院殿府中六所へ御参の時、たまたま当寺へ成らせ給ひしより名付し由いへと、いと牽強の説と思はる。元より拠とすへきものなけれと、其頃賜ひし御筆なりとて横物の掛軸を寺宝とす。縮字して左に出す。
以一張弓勢定天下、以三尺剱光安国土
稲荷社。六所愛宕神社。地蔵堂。
聖天堂門前屋。間口二十八間、二百二十四坪。(新編武蔵風土記稿より)

「日野市史」による長楽寺の縁起

長楽寺 程久保四〇五
六所山長命院と号する真言宗豊山派の寺院で、総本山長谷寺(奈良県)の末である。
もと、新宿区角筈三丁目二五一番地(現新宿区酉新宿三丁目)にあったが、昭和三十五年五月に現在地に移転した。
縁起によれば、元和六年(一六二〇)代官渡辺与兵衛が開山頼音和尚に帰依し、数千坪を寄進して、一宇を建立したという。徳川四代将軍家綱が将軍職継承に先立つ慶安三年(一六五〇)正月、武蔵国府中六所明神(大国魂神社)に参詣のみぎり、真筆をもって六所山の山号を与えられたと伝える。
享和二年(一八〇二)第十六世中興智淳和尚が堂字を再建し、弟子百余名を擁して、不動信仰による当山の最盛期を迎え、門前市をなしたと伝える。明治中期より昭和十一年にかけ、第二十一世信証和尚が大本堂・書院・庫裡・大師堂・地蔵堂・鐘楼・山門等を建立し、面目一新して大寺院の風格を備えた。しかし、昭和二十年五月二十五日の空襲に遭い、諸堂は灰燼に帰したので、第二十三世信興が復興を発願し、昭和三十四年新しく土地を買収、同三十五年五月現在地に移転した。急斜面の山林を二十年にわたって大造成工事を行い、境内・墓地・参道を整備する一方、本堂・阿弥陀堂・鎮守・地蔵堂・事務所・鐘楼・客殿・庫裡等を建立したのである。
本尊不動明王像は唐よりの伝来と伝えられ、弘法大師像は江戸府内八十八か所のうち第二十五番霊場厄除大師として祀られていた。をの他興教大師像及び子育て地蔵尊像が安置されている。(新編武蔵風土記稿より)


長楽寺の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「日野市史」