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蓮花寺|墨田区東向島にある真言宗智山派寺院

蓮花寺の概要

真言宗智山派寺院の蓮花寺は、清瀧山と号します。鎌倉幕府五代執権北条時頼の甥頼助が建立、鎌倉に建立した蓮華寺を時頼が当地へ遷したと伝えられています。本尊は空海自筆の弘法大師画像と伝えられ、寺島大師と呼ばれ、川崎大師平間寺西新井大師総持寺とともに江戸三大師と言われていました。南葛八十八ヶ所霊場84番札所、隅田川二十一ヵ所霊場21番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場70・71・72・73番札所です。

蓮花寺
蓮花寺の概要
山号 清瀧山
院号 -
寺号 蓮花寺
住所 墨田区東向島3-23-17
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 江戸三大師の寺島大師南葛八十八ヶ所霊場84番札所、隅田川二十一ヵ所霊場21番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場70・71・72・73番札所



蓮花寺の縁起

蓮花寺の縁起について不確かな点が多いものの、寺伝によると鎌倉幕府第5代執権時頼が、兄の武蔵守経時追福のために、寛元4年(1246)鎌倉佐介谷に創建した蓮華寺を、経時の子頼助が当地へ遷したとされます。江戸期には数多くの末寺を近隣に持つ中本寺格の寺院でした。

新編武蔵風土記稿による蓮花寺の縁起

蓮花寺
新義真言宗山城国醍醐三宝院末、清瀧山観音院と号せり。本尊弘法大師自書の像を安す。寺領7石は慶安元年8月24日後朱印を附らる。縁起云、当寺は最明寺平時頼の舎兄武蔵守経時朝臣の菩提寺なり。初は相州鎌倉軍佐介谷に創立ありて、其経時寛元4年逝去の後時頼一寺を建立して、蓮花寺殿前武州安楽大禅定門と謚す。時の開山は弁法印審範なり。審範は則頼朝卿の外伯父、深井法眼範智の孫なり。其後経時の子佐々目大僧正頼助此寺嶋を知行ありし時、鎌倉の蓮花寺を此所に移し、弘安3年8月建立して頼助自ら中興の開山となれり云々。按に、此寺傳甚疑ふへし。いかにと云に、鎌倉大日記に建長3年経時が為に佐介に於て蓮花寺建立住持は良忠と記し、鎌倉志に佐介谷の蓮花寺は寛元元年5月3日平経時の建立にて、時の薬師は記主禅師とあり、此二書に載る処年代等は異同あれど、薬師は共に記主なれば宗門元より浄家にして審範にあらざること明けし。しかのみならず鎌倉志には蓮花寺創立の後経時霊夢ありて光明寺と改む名の寺を起立ありしを、たまたま佐介谷の蓮花寺改号せる故、後人妄に彼寺を引き来りしなと云こせしにあらずや。
鐘楼、宝暦8年の鐘なり。
愛染堂、興教大師の書ける像を安す。
権現堂、清流権現と号す。(新編武蔵風土記稿より)

すみだの史跡文化財めぐりによる蓮花寺の縁起

清瀧山蓮花寺は、京都智積院末で真言宗に属し、本尊は空海自筆の弘法大師画像と伝えられています。
この寺の開山については諸説がありますが、一説は次の通りです。 最明寺入道時頼(鎌倉幕府第5代執権)が、兄の武蔵守経時追福のために、寛元4年(1246)鎌倉佐介谷に巨刹を創建、蓮華寺と名付け、良弁法印審範を開祖として聖徳太子の御像を安置しました。その後京都禁裏から空海自筆の「女人済度厄除弘法大師」を請し、奏送を怠ってそのまま寺に安置しました。
経時の死後、子頼助は病身なので、執権職は叔父時頼に譲り、自ら剃髪して諸国を廻りました。その折、偶々今の寺島に来て一寺を建て、鎌倉の蓮華寺を遷し、「女人済度厄除弘法大師」を本尊とし、右側に小さな堂を建て聖徳太子の御像を納め、佐々目大僧正頼助と号し、自ら開山となりました。時は弘安3年(1280)8月2日でした。これが今の蓮花寺です。(当寺は、昔は「蓮華寺」と書きました。)
この説には、宗派のこと、建立年月のこと、開祖のこと等から異論もあります。(すみだの史跡文化財めぐりより)


蓮花寺の末寺、もと末寺


廃寺となった白髭神社別当西蔵院について

白髭神社)別当西蔵院
新義真言宗村内蓮花寺末、白髭山と号す。大永元年の起立なり。当寺に桑原中納言と言へる人納めし雷除日丸天満宮を安す、坐像にて長8、9寸。 諏訪社、稲荷社。(新編武蔵風土記稿より)

廃寺となった真光寺について

真光寺は、寺嶋村附持添新田にあった二つの第六天社のうちの一つを持していたとあります。寺嶋村附持添新田にあったことから墨田区東向島6-29-16蓮花寺新光苑墓地が該当するのではないかと推定できます。

真光寺
これも同末(新義真言宗寺嶋村蓮花寺末)鏡池山と号す。慶長19年起立。開基は快賢。本尊弥陀を安す。
稲荷、鏡池稲荷と号す。(新編武蔵風土記稿寺嶋村附持添新田項より)

廃寺となった薬師寺について

薬師寺
同宗(新義真言宗)蓮花寺末、医王山と号す。始は長福寺と号せしか、惇信院殿の御幼名を避て改めしと云。慶長15年の起立にて本尊薬師を安す。今は廃寺となりて再建に及ばず。(新編武蔵風土記稿より)

廃寺となった千手院について

(小村井村)千手院
新義真言宗寺嶋村蓮花寺末、大悲山と号す。慶長10年の起立と云。本尊正観音。
金比羅社。(新編武蔵風土記稿より)


蓮花寺所蔵の文化財

  • 蓮花寺の石柱道標 文化十五年銘1基・文政五年銘1基(墨田区登録文化財)
  • 天保3年銘石燈籠
  • 最上算子塚
  • 聖徳太子像
  • 四国八八ヶ所写しの石碑
  • 亀田則恒の碑
  • 「題群盲評古之図」の碑
  • 宮内源之輔「先嬉し」の辞世句碑
  • 永谷秀葉「常盤木の」の句碑
  • 六地蔵
  • 植村蘆洲の墓
  • 東条琴台の墓
  • 大矢市次郎の墓
  • 佐原鞠塢の墓

蓮花寺の道標

「女人済度御自筆 弘法大師」」の道標
左右側面に「大しみち」(大師道)とあり、もと地蔵坂を登った墨堤にあったものです。片方は蓮花寺で、もう片方の「大しみち」は西新井大師総持寺を指したと考えられます。文化15年(1818)の建立です。台石に「と組」と記されているので、江戸火消しが建てたのでしょう。
「厄除弘法大師」の道標
右側側面に「西 白ひけ はしはみち」(白髭 橋場道)とあります。文面から、門前に建てられていたものと考えられます。文政5年の建立です。
ともに蓮花寺とはゆかり深い道標です。文化文政のころには「寺島の大師」として、川崎大師西新井大師総持寺と並んで江戸三大師の一つとして栄えていました。厄除けの護符をいただきにくる大師参りの人々のために建てられたに違いありません。(墨田区教育委員会)

佐原鞠塢の墓

向島百花園の佐原氏代々の墓で、「浄」の一字が記されているだけです。
昭和52年、歓名寺(台東区元浅草3丁目)から当寺に遷されたものです。(すみだの史跡文化財めぐりより)


蓮花寺の周辺図


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