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福厳寺|墨田区東駒形にある曹洞宗寺院

福厳寺の概要

曹洞宗寺院の福厳寺は、牛嶋山と号します。福厳寺は、延徳3年(1491)に吉祥寺二世大洲安充和尚が開山したといいます。朱色の門は三代将軍徳川家光が父秀忠の追福のために寄進したもので、古くから赤門寺と呼ばれていたといいます。また、赤穂浪士大石内蔵助の縁者である、大石三平や原田きぬの墓があります。大石三平は、四国松山の松平家江戸家老で、横網に住み、福厳寺の住職を禅の師として親しくしていたころから、三平は赤穂義士の吉良家討ち入りのため、参禅・聞法の集会と称して、当寺で義士に密談を行わせたり、このあたりの地理に詳しいことから義士討ち入りの手引きをするなど、かげにあっていろいろ援助していたといいます。

福厳寺
福厳寺の概要
山号 牛嶋山
院号 -
寺号 福厳寺
住所 墨田区東駒形3-21-3
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 福厳寺密厳堂
備考 墓地募集中



福厳寺の縁起

福厳寺は、周鶴和尚が開基となり、吉祥寺二世大洲安充和尚が延徳3年(1491)に開山したといいます。

「すみだの史跡文化財めぐり」による福厳寺の縁起

曹洞宗で駒込吉祥寺末で山号を牛島山といいます。天文10年(1541)吉祥寺の二世大洲安充の創建としていますが、「寺社書上」では延徳3年(1491)の起立としています。いずれにしても江戸開府以前からある古刹で、草創から400年間寺地を替えていません。
本尊釈迦如来木像、十一面観世音、無尽地蔵菩薩、大般若経600巻などが有名でした。
当寺は、朱塗りの寺門があるので江戸時代から「赤門寺」と通称されていました。この赤門は三代将軍家光が、父秀忠の追福のため寄進したものでしたが、関東大震災で焼失した後は、紀尾井町にあった旧紀州家中屋敷の門をもらい受け、これを朱塗りにして寺門としていました。これも戦災で焼失し、現在はコンクリート製で復興されています。
十一面観世音は、文化14年(1817)7月森本尹之助、俊蔵の兄弟が鉄砲州の浜へ釣りに行き、その時流れついた像を引き上げて持ち帰り、後に当寺に安置したと伝えられる木像です。
無尽地蔵菩薩は身の丈12cmの小像で、文政元年(1818)6月に浅草蔵前の隅田川で貝をとっていた者が発見し、水中から引き上げ持ち帰って自宅に安置しておいたところ、無尽のくじに幾度となく当ったので、無尽地蔵と称して信仰し、後に当寺に安置したものと言われています。(すみだの史跡文化財めぐりより)

「本所區史」による福厳寺の縁起

福嚴寺は同町(中之郷原庭町)四十二番地に在り牛島山と號し曹洞宗にして駒込吉祥寺の末である。延徳三年の創立にて、開山は安允和尚(天文十三年寂)開基は周鶴和尚である。什寶も數多ある中でも海上出現の十一面観世音無盡地蔵菩薩、大般若経六は百巻は著名のものである。(「本所區史」より)

「東京名所図会」による福厳寺の縁起

福厳寺
福厳寺は。同町(中之郷原庭町)四十二番地に在り牛島山と號す。曹洞宗にして駒込吉祥寺の末なり。延徳三年の創立にて。開山は安充和尚(天文十三年寂)開基は周鶴和尚なり。(東京名所図会より)


福厳寺の文化財

  • 大石三平の墓

大石三平の墓

大石三平(良穀)は四国高松藩松平家の江戸家老でした。本所横網に住み、付近の地理に詳しく、そして当寺の住職を禅の師として親交がありました。三平は大石良雄の縁者であったことから、赤穂義士の江戸入りには種々の便宜を与え、当寺で参禅聴法の集会と称して義士の密談を行わせたり、討入りの手引きなどもしたと伝えられています。墓には、
「玄忠院寺山一路居士 大石三平藤原良穀 寛延2己巳(1749)11月7日」
と刻しています。75歳で没しています。(すみだの史跡文化財めぐりより)

福厳寺の周辺図




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