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行傳寺。川越市末広町にある日蓮宗寺院

行傳寺の概要

日蓮宗寺院の行傳寺は、朝田山と号します。行傳寺は、池上本門寺4世(永徳元年1381年寂)日山が開山となり、行典寺と号して永和年間(1375-1379)に創建、天文年間(1532-1555)に松郷へ、元和6年(1620)当地へ移転したといいます。

行傳寺
行傳寺の概要
山号 朝田山
院号 -
寺号 行傳寺
住所 川越市末広町2-4-2
宗派 日蓮宗
本尊 -
葬儀・墓地 -
備考 -



行傳寺の縁起

行傳寺は、池上本門寺4世(永徳元年1381年寂)日山が開山となり、行典寺と号して永和年間(1375-1379)に創建、天文年間(1532-1555)に松郷へ、元和6年(1620)当地へ移転したといいます。

新編武蔵風土記稿による行傳寺の縁起

(行傳寺門前町)行傳寺
日蓮宗にて池上本門寺の末寺なり、朝田山と號す、開山日山古くは行典寺とかきしとみゆ、永和年中起立す日山は本山第四世の住僧にて、永徳元年九月七日化すと云、この寺昔は今の城中内廓の所にあり、城引移しのときもそのままたてりしを、天文年中に至りて城下松郷へ移され、かしこにあること數十年なりしが、元和五年三月朔日回禄にあひぬ、明る六年二月十九日今の地へうつりしよし、寺記にのせたり。
寺寳
経文一葉。七八寸四方なり、日蓮の筆なりと。
経文一葉。これもわづか許なる残闕なり、奥書に弘安元年大蔵甲寅三月廿日、手塚半助法號宗昌授與之とあり。
曼荼羅一幅。日朗の書なり。
題目一幅。これも同書なり。
科止観一部。大僧正天海手澤の本なりと云、奥書に元和元丁巳暦玉律上旬、西京於北野経堂常明寺宗存令刊摺之畢、又法華文句科止観の末に、此科文句廿三帖之内、仙波二老所化慈心坊以秘計、於江戸従南光僧正文庫之内取出、令感得茲而巳、于時寛永元稔(太才甲子)仲春時正日、河越之内朝田山行典寺第四繼踵行専院日椿とあり。
太鼓一。径三尺一寸尤古色に見ゆ、相傳ふ昔松山城中にありしものなりと、いかなる故にか、もとの城主酒井讃岐守忠勝が家人、田中某當寺へ寄進せしと云、銘文なければ造りし年代はしるべからずと。
古過去帳一冊。延徳明應の頃を始として多くの法名を記せり、中にも松山の上田氏、世々の諡號俗名をのせしなどは、考證ともすべきものなり、その餘にもかかる體多けれど、大抵國中の人物なれば、其人の傳に引用せしゆへここにはのせず。
惣門。元和九年五月廿八日建立せしと云。
中門。相傳ふ此門は昔當城の上戸にありし頃の門なりしを、後に城主より寄附せし所なりと云、いかさま四百餘年のものと見えて、兩柱に虫食し痕多し、茅葺にていと古質に見ゆ、朝田山の三字をかかぐ、落款に大明虎林白山人陳氏元□姜都甫正嫡、梅峰悠々翁、敬書とあり。
本堂。本尊三寳を安ず。
鐘楼。此鐘ゆへ有て多賀町の防火楼に移して、今は樓のみ立り。
三十番神堂。大黒の像を相殿とす。
稲荷社。疱瘡神社。黒池菴。
愛正院。今は廢せり。
圓行院。是も今は廢す、昔は此二院の外にも塔頭多かりしが、寛永年中不受不施の戒律を偏執せしにより、院主の罪を蒙て廢せらる。(新編武蔵風土記稿より)


行傳寺の周辺図




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