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橘神社。上尾市平方の神社

橘神社の概要

橘神社は、上尾市平方にある神社です。橘神社は、寛永8年(1631)十二月二十五日、桶川宿の方から童子らが櫃を上尾宿に引いて来て歌い踊り、更に江戸まで送ったものの、年末には当宿に戻り、正月になって櫃を開けると、中に違い形に結び付けてある小鍬二挺が納めてあったことから、これを鍬太神宮として祀り、上尾宿総鎮守としたといいます。明治41年、二ツ宮氷川神社の女体社と、上尾宿字南本村の八幡社・字浅間の浅間社を合祀、橘神社と改称、村社に列格したといいます。

橘神社
橘神社の概要
社号 橘神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 惣合祀社、天王社、神明社、水神社、頒霊社
祭日 -
住所 上尾市平方2124
備考 -



橘神社の由緒

橘神社の創建年代等は不詳ながら、かつては文明3年(1471)銘の額があったといい、室町時代には既に祀られていたといいます。江戸期には、氷川社と称して平方村の鎮守社として祀られ、明治40年に平方地内の稲荷・神明の二社(共に無格社)及び西貝塚の村社稲荷社、上野の村社神明社、上野本郷の村社稲荷社、平方領領家の村社氷川社を合祀し、社号を橘神社と改めたといいます。

新編武蔵風土記稿による橘神社の由緒

(平方村)
氷川社
村の鎮守なり
第六天社
破壊して未だ再興に及ばず
稲荷社
雷電社
天神社
天王社
御嶽社
以上七社、正覺寺の持。
(領家村)
氷川社
村の鎮守なり、村民の持、以下十四社持同じ、
天神社
第六天社
風天社
天王社
八幡社
愛宕社
神明社二宇
稲荷社六宇
(貝塚村)
稲荷社
村の鎮守なり、薬師堂庵主の持。
愛宕社
天な二年地頭山内豊前守勧請すと云、別所村福正寺持。
(上野本郷村)
稲荷社
村の鎮守なり、村民の持、下同じ
神明社
荒神社
熊野社 (新編武蔵風土記稿より)

「上尾の神社・寺院」による橘神社の由緒

元禄7年(1694)甲戌年とある「平方寺社地御改之覚」の文書に「・・・抱氷川明神の御顔(額の誤か)御座候其御顔に文明三辛卯年と御座候・・・」とあり西暦1471年には氷川社として存在した。
明治40年(1907)に旧上野村、平方領領家村、上野本郷村、西貝塚村のそれぞれの村社をこの氷川社に合祀し、社名を「橘神社」と称した。村社に列せられた。昭和28年4月宗教法人として承認を受けた。(「上尾の神社・寺院」より)

「埼玉の神社」による橘神社の由緒

橘神社<上尾市平方二一二四(平方字箕輪)>
当社の本殿の背後には、樹齢約八〇〇年と推定され、幹周り五・七五メートル、高さ二〇メートルにも及ぶ欅の巨木(市指定天然記念物)がそびえている。遠望するとこの欅が当社の神籬のように見え、境内の三分の一を覆い尽くすその威容は、神木と呼ぶにふさわしい。
元禄七年(一六九四)の「枚方村寺社地御改之覚」(福田家文書)によれば、当社には文明三年(一四七一)銘の額(現存しない)がある旨が記されていることから、それ以前の創立であることがわかる。また、口碑に創建当初は現在の平方小学校の東の「氷川山」と呼ばれる所にあったとも、平方新田の字在家にあったとも伝えられる。しかし、当社が当地に移った時期については伝えがなく、また、境内の大欅の樹齢から考えても、遷座があったとしても相当昔のことであろう。
『風土記稿』平方村の項に、「氷川社 村の鎮守なり」と記されているように、当社は元来は平方だけの鎮守であったが、明治四十年に平方地内の稲荷・神明の二社(共に無格社)及び西貝塚の村社稲荷社、上野の村社神明社、上野本郷の村社稲荷社、平方領領家の村社氷川社を合祀し、社号を橘神社と改めた。その社名はかつてこの辺りを橘里と称していたことにちなむものである。本殿及び拝殿はこの合祀を機に建立されたもので、古い本殿は同じ大字内の八枝神社に移され、今も同社の本殿として使われている。(「埼玉の神社」より)


橘神社所蔵の文化財

  • 平方村河岸出入商人衆奉納の石祠(上尾市指定有形文化財)

平方村河岸出入商人衆奉納の石祠

平方河岸は、荒川にあった河岸場で、近世には岩槻や原市方面から川越を経て多摩方面へ通じる、脇往還筋にある渡船場としても機能する交通の要衝だった。河岸場の歴史は古く、寛永一五(1638)年以前には既に成立していたと考えられている。
江戸へ送る年貢米の集荷先として、平方周辺の村々の他、南村、久保村、原市村などの幕府直轄地や、弁財村、戸崎村、上瓦葺村などの旗本知行地といった地域からも広く利用され、大正時代末まで大変栄えていた。
3基並んだ石祠のうち、中央の神明社が指定の石祠で、明治四〇年代に河岸場から橘神社に移された。左側面の銘文によると、平方村及び平方河岸に出入りする商人衆によって、享保二(1717)年に造立・奉納されたものであることが分かる。また右側面には、宝永六(1709)年に祈願して以来、平方河岸が大神宮の神徳により繁栄したことのお礼と、今後の輸送の安全と一層の発展を願う奉納の趣旨が記されている。
江戸時代中期からの江戸との経済関係、いわゆる江戸地廻り経済による商品流通によって発展した平方河岸の隆盛を伝える、数少ない貴重な歴史資料である。(上尾市教育委員会掲示より)

橘神社の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)