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正覚院|豊島八十八ヶ所霊場、練馬区豊玉南にある真言宗豊山派寺院

正覚院の概要

真言宗豊山派の正覚院は、天満山観音寺と号し、長禄年間(1457-60)江戸城築城の際に立ち退いた農家が、天満宮(現豊玉氷川神社)の別当として創建したと伝えられます。豊島八十八ヶ所霊場7番札所です。

天満山正覚院
正覚院の概要
山号 天満山
院号 正覚院
寺号 観音寺
住所 練馬区豊玉南2-15-7
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 正覚院で葬儀可能
備考 豊島八十八ヶ所霊場7番札所、もと豊玉氷川神社別当



正覚院の縁起

正覚院は、長禄年間(1457-60)江戸城築城の際に立ち退いた農家が、天満宮(現豊玉氷川神社)の別当として創建したと伝えられます。

練馬区教育委員会掲示による正覚院の縁起

正覚院は真言宗豊山派の寺院で、山号を天満山といい、豊島八十八ヶ所霊場第7番札所です。寺伝によると太田道灌が長禄年間(1457-60)江戸城築城の際、ここ中荒井の陣屋にあった道灌崇敬の天満宮を守るため別当寺として創建したのが当寺で、市ヶ谷から立退かせた一農家を開基檀徒としたといわれます。隣の豊玉氷川神社は境内社の天満宮(北野神社)が最も古いという伝承もこのことをうかがわせます。
明治の廃仏毀釈や火災で、寺の什宝など殆どが烏有に帰しましたが、寛永年間(1624--44)の記載がある過去帳と、それ以前といわれる涅槃像画が現存します。
幕末から明治にかけて、ここで「筆道稽古所」という寺子屋が開かれ、地域子弟の教育に携わっていたことがあります。境内には以前、村内各所にあった庚申塔や、不動明王などの石造物が数多くあり、また観音堂前の「八子地蔵尊」は不幸な厄に遭った八人の幼児の霊を弔ったものです。(昭和60年3月 練馬区教育委員会より)

「練馬の寺院」による正覚院の縁起

「新編武蔵風土記稿」に「正覚院、新義真言宗。多磨郡中野村宝仙寺末。天満山観音寺ト号ス。本尊不動。中興開山契哀。宝暦元年10月25日寂。」とある。口碑によると、江戸城築城に際し、外濠に住む一農家を立ち退かせるにあたり、かつて太田道灌の信仰していた天満宮の別当に、この農民をあて、当院を創建させたという。
明治に入り廃仏毀釈や火災のため、境内は一部を失い、寺記・寺宝類は焼失した。しかし幸いにも寛永年間(1624-44)から記載のある過去帳と、三百年以上経過したと思われる制作年代不明の涅槃図(文政7年修復)は残った。
その後10年程の無住の時期を経て明治10年代に至り、地元有力者の奔走によって本堂等が再建され、明治14年(1881)には成田講も組織されて境内に石造不動明王を祀り、近隣の信仰を集めた。さらに昭和13年、町内有志によって、不幸な厄にあった8人の幼児の霊を供養するための八子地蔵尊も建立された。
本堂および観音堂(元禄10年奉祀の如意輪観世音像がある)は、昭和51年に改築され、平成3年には多宝塔も建立されて、寺観もいちだんと整った。(「練馬の寺院」より)


正覚院の周辺図


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参考資料
  • 練馬の寺院(練馬区教育委員会)



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