氷川神社|練馬区豊玉南の神社、中荒井村鎮守
氷川神社の概要
豊玉氷川神社は、創建不詳ながら、中荒井村の鎮守で、別当正覚院でした。主神は、当初北野神社、次いで須賀神社、そして現在の氷川神社へと遷移しています。明治5年には村社となっています。
| 社号 | 氷川神社 |
|---|---|
| 祭神 | 須佐之男命 |
| 相殿 | - |
| 境内社 | 須賀神社、北野天満神社、稲荷神社、三峯神社 |
| 住所 | 練馬区豊玉南2-15-5 |
| 備考 | 中荒井村鎮守、村社 |
豊玉氷川神社の由緒
豊玉氷川神社は、創建不詳ながら、中荒井村の鎮守で、別当正覚院でした。主神は、当初北野神社、次いで須賀神社、そして現在の氷川神社へと遷移しています。明治5年には村社となっています。
「新編武蔵風土記稿」中荒井村の項に「氷川社、村の鎮守なり。例祭9月18日。正覚院持。末社牛頭天王、天神、稲荷」とある。「東京府志料」に「創建詳ならず。明治5年11月村社となる」、「北豊島郡誌」には「境内老樹林立し風向佳なり、当社の神木老杉は付近に有名なる大木にて包三囲に余れり、外に大杉樹2株社殿の後にあり。と記されている。社伝によればこの杉は、古損のため昭和12年、同20年に伐採された際、年輪が各700年、600余年を数えたので、当社の神域が鎌倉時代の開創であることを物語るとしている。当社の創建は不詳だが、武蔵国一の宮氷川神社の分霊の社と伝える。初めは現在境内社の北野神社が最も古くて主神、次いで須賀神社が主神となり、その後時期は明らかでないが氷川神社が主神になった。
境内石造物では稲荷神社前[天明4年]1784と北野天満神社前[文化13年1816]の水盤が最も古い。社殿は須賀神社の上屋を本殿とし、昭和3年の建築である。その際、元の拝殿は移築して神楽殿とした。この旧拝殿は江戸時代後期の建築で、昭和59年新神楽殿が造られると、絵馬堂として使われ今は額殿と呼んでいる。力石は8個あり、35貫目などの陰刻がある。他に正徳元年(1711)と同5年(1715)の笠付庚申塔、日露戦役従軍記念碑(明治39年)、須賀神社敷石記念碑(大正5年)、三峯神社鳥居建設記念碑(大正12年)、社殿改築記念碑(昭和3年)がある。
須賀神社の祭礼は最近まで天王様の祭りと言われ、江戸時代の終わりに作られたと言われる神輿が出て、近郷近在から多くの人が集まったようである。この祭りは今も6月15日に行われている。神輿庫には本社と六町会の神輿がある。
境内樹木は、幹回り2.6mのカヤの大樹をはじめとしてイチョウ、イヌシデ、サクラがある。(練馬の神社より)
豊玉氷川神社にある練馬区登録文化財
- 旧拝殿(有形文化財)
- 力石(有形民俗文化財)
- 神輿(有形文化財)
豊玉氷川神社の周辺図
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氷川神社境内社
氷川神社石碑