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田端八幡神社|田端村の鎮守、北区田端の神社

田端八幡神社の概要

田端八幡神社は、北区田端にある八幡神社です。田端八幡神社は、文治5年(1189)源頼朝が奥州征伐を終えて凱旋するときに鶴岡八幡宮を勧請して創建されと伝えられ、江戸期には、田端村の鎮守だったといいます。

田端八幡神社
田端八幡神社の概要
社号 田端八幡神社
祭神 品陀和気命
相殿 -
境内社 稲荷社、富士浅間社、三峰社
住所 北区田端2-7-2
備考 田端村鎮守



田端八幡神社の由緒

田端八幡神社は、文治5年(1189)源頼朝が奥州征伐を終えて凱旋するときに鶴岡八幡宮を勧請して創建されと伝えられ、江戸期には、田端村の鎮守だったといいます。

新編武蔵風土記稿による田端八幡神社の由緒

(田端村東覺寺項)八幡社
村の鎮守なり、【江戸志】等に文治五年頼朝の勧請なる由記したれど今社傳に存せず、社前に石像仁王あり昔銘に施主道如宗海上人東岳寺賢盛代(新編武蔵風土記稿より)

「東京都神社名鑑」による田端八幡神社の由緒

創立年月日不詳。旧別当大竜寺持とあり、古老の伝えによると文治年間(一一八五-九〇)源頼朝奥州追討の軍を起こし、凱旋の帰路鎌倉八幡宮を勧請したといわれる。大正二年境内に白鬚神社を移した。大正十五年社務所新築。昭和二十年戦災により神楽殴・社務所を焼失した。(「東京都神社名鑑」より)

境内掲示による田端八幡神社の由緒

この八幡神社は、田端村の鎮守として崇拝された神社で品陀和気命(応神天皇)を祭神としています。神社の伝承によれば、文治5年(1189)源頼朝が奥州征伐を終えて凱旋するときに鶴岡八幡宮を勧請して創建されたものとされています。別当寺は東覚寺でした。
現在東覚寺の不動堂の前にたっている一対の仁王像(赤紙仁王)は、明治元年の神仏分離令の発令によって現在地へ移されるまでは、この神社の参道入口に立っていました。江戸時代には門が閉ざされていて、参詣者が本殿まで進んで参拝することはできなかったらしく、仁王像のところから参拝するのが通例だったようです。
参道の中ほど、一の鳥居の手前には石橋が埋められています。これは昭和初期の改修工事によって暗渠となった谷田川に架かっていたもので、記念保存のためここへ移されました。
社殿は何度も火災等に遭い、焼失と再建を繰り返しましたが、平成4年(1992)に氏子たちの協力のもとで再建され、翌年5月に遷座祭が行われて現在の形になりました。
境内には、稲荷社のほかに田端富士三峯講が奉祀する富士浅間社と三峰社があり、富士浅間社では毎年2月20日に「富士講の初拝み」として祭事が行われています。(北区教育委員会掲示より)


田端八幡神社の周辺図




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