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東覚寺|北区田端にある真言宗豊山派寺院

東覚寺の概要

真言宗豊山派寺院の東覚寺は、白龍山寿命院と号します。東覚寺は、延徳3年(1491)源雅和尚が神田筋違に創建、根岸への移転を経て、慶長年間に当地へ移転したと伝えられます。江戸時代には、寺領7石の御朱印状を拝領したといいます。御府内八十八ヶ所霊場66番札所、豊島八十八ヶ所霊場66番札所、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場29番札所、谷中七福神の福禄寿です。

東覚寺
東覚寺の概要
山号 白龍山
院号 寿命院
寺号 東覚寺
住所 北区田端2-7-3
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 御府内八十八ヶ所霊場66番札所、豊島八十八ヶ所霊場66番札所、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場29番札所、谷中七福神の福禄寿



東覚寺の縁起

東覚寺は、延徳3年(1491)源雅和尚が神田筋違に創建、根岸への移転を経て、慶長年間に当地へ移転したと伝えられます。江戸時代には、寺領7石の御朱印状を拝領したといいます。

北区文化財案内による東覚寺の縁起

真言宗豊山派。本尊は不動明王像です。北区史によれば源雅和尚が不動明王を勧請して本尊とし、神田筋違に一寺を建立、後に根岸に移転、更に慶長の初めごろ田端に移転したということです。しかし北区史は、その出典、出所を記していませんので、その点は調査の必要があるでしょう。この寺は、「新編武蔵風土記稿」によれば、寺領7石の朱印を受けていました。(北区文化財案内より)

新編武蔵風土記稿による東覚寺の縁起

(田端村)東覺寺
與楽寺末白龍山壽命院と号す。寺領七石の御朱印を附せらる。本尊不動は弘法大師の作なり。
八幡社
村の鎮守なり、【江戸志】等に文治五年頼朝の勧請なる由記したれど今社傳に存せず、社前に石像仁王あり昔銘に施主道如宗海上人東岳寺賢盛代、寛永十八年辛巳天八月二十一日と彫る。
九品佛堂。惠心の作の三尊彌陀を安置す、第二番の堂と云。
観音堂。(新編武蔵風土記稿より)


東覚寺所蔵の文化財

  • 文化14年(1817)銘、蜀山人の竹型の雀供養之塚
  • 石造金剛力士立像(北区指定文化財)

石造金剛力士立像

平成10年4月28日指定 石造金剛力士立像は、全身に赤紙が貼られているので、通称赤紙仁王とも呼ばれています。身体の悪い人が、疾患のある部分に赤い紙を貼って祈願すれば、病気が回復すると信じられ、現在も、なお、祈願する人が絶えません。横の草鞋(わらじ)は、祈願して病気の回復したとする人々によって供えられたものです。
寛永18(1641)年8月21日、東覚寺住職賢盛の時代に、宗海という僧侶が願主となって江戸市中に流行していた疫病を鎮めるために造立されたとつたえられます。
赤紙仁王は、江戸時代の末期までは、田端村の鎮守である八幡神社の社前にありましたが、明治維新の神仏分離を契機に、別当寺であった東覚寺の境内に移され、以後、都内に現存する比較的古い時代の石造の仁王像としても広く知られています。

東覚寺坂

田端切通しにそって台地へ上る急坂で、昔は田端八幡神社の別当寺東覚寺墓地への参道で「東京府村誌」に「長さ二十間、広さ一間三尺」と記されている。寺の前には2基の大きな仁王の石像があり、病のある部分に赤紙を貼ると、病がなおると信仰されており、谷中七福神の1つ、福禄寿も祀ってある。蜀山人の狂歌「むらすずめさはくち声もももこえもつるの林の鶴の一声」の碑がある。


東覚寺の周辺図