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猫の足あと

妙楽寺。川崎市多摩区にある天台宗寺院

妙楽寺の概要

天台宗寺院の妙楽寺は、長尾山勝壽院と号します。妙楽寺の創建年代等は不詳ながら、仁寿年中(851-854)に創建した長尾山威光寺(長尾寺)の旧跡だといい、長尾山威光寺は、鎌倉時代には源頼朝の弟弟全成(幼名今若丸)が住職を務めていたこともあったという大寺だったといいます。関東百八地蔵霊場83番です。

妙楽寺
妙楽寺の概要
山号 長尾山
院号 勝壽院
寺号 妙楽寺
住所 川崎市多摩区長尾3-9-3
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



妙楽寺の縁起

妙楽寺の創建年代等は不詳ながら、仁寿年中(851-854)に創建した長尾山威光寺(長尾寺)の旧跡だといい、長尾山威光寺は、鎌倉時代には源頼朝の弟弟全成(幼名今若丸)が住職を務めていたこともあったという大寺だったといいます。

新編武蔵風土記稿による妙楽寺の縁起

(長尾村)妙楽寺
河内長尾の南にあり、此邊を妙楽寺臺と云、天台宗にて長尾山勝壽院と號す、多磨郡世田谷領深大寺の末、開山開基詳ならず、客殿八間に七間巽向、本尊彌陀長三尺三寸なるを安ず、又道情といひし者の木像なり、法體にて坐せる像なり、長二尺許、此人の事は舊家の條に出せり、按に【東鑑】治承四年十一月十九日の條に、武蔵國長尾寺幷求明寺等、長榮可致沙汰之旨云々とあり、求明寺は久良岐郡本牧領弘明寺なり、長尾寺といへるは未だ何れの寺院と云ことを聞ず、當寺長尾村の内にありて長尾山と號し、且當國の内別にそれと覺しき古寺も見えざれば、恐くは【東鑑】にいへるもの當寺の事なるにや、かの條にいへる僧長榮は今豊島郡雑司ヶ谷村法明寺の住僧にて【東鑑】には法明寺の事を威光寺と記せり、是も今は山號となりて威光山法明寺と號するときは、古の寺號を山號とせしこと其例なきにしもあらず、されど寺傳は云もさらなり、土人の語り傳へにもよるべきことなければ、こは今より斷ずべからず。
鐘楼。薬師堂前にあり、享保年中の新鋳にて其考證となすべきことなければとらす。
薬師堂。境内にあり、三間に四間東向、薬師の長二尺五寸許坐像外に十二神将あり、各長二尺許共に木像にて行基菩薩の作なりと云。(新編武蔵風土記稿より)


妙楽寺所蔵の文化財

  • 木造薬師如来及び両脇侍像(寄木造)
  • 五趣生死輪図

木造薬師如来及び両脇侍像・五趣生死輪図

天台宗長尾山妙楽寺所蔵の木造薬師如来及び両脇侍像(寄木造)のうち、薬師如来坐像は胎内背面の墨書から永正六年(一五〇九)九月の制作で、顔の表情・寄木の構造も室町時代末期の特徴がよく表れています。
日光菩薩像は胎内の墨書から、薬師如来像よりおくれて天文一六年(一五四七)に制作されたことと、妙楽寺が長尾山威光寺の旧跡であることがわかりました。
威光寺は、文徳天皇の仁寿年中(八五一〜四)の創建と伝えられ、源氏代々の祈願寺として保護されてきました。とくに頼朝が弟全成(幼名今若丸)をこの寺の住職にしたこともあり、鎌倉時代初期におけるこの寺の隆盛は吾妻鏡(鎌倉時代の記録)からも知ることができます。
同じく当寺所蔵の五趣生死輪図は、明治二五年(一八九二)に描かれた大型の肉筆彩色画で、仏教の示す輪廻転生の思想とこの世の無情が難解な教典によらずわかりやすい画像で表現されています。(川崎市教育委員会掲示より)

妙楽寺の周辺図