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佐助稲荷神社。鎌倉市佐助の神社

佐助稲荷神社の概要

佐助稲荷神社は、鎌倉市佐助にある稲荷神社です。佐助稲荷神社は、源頼朝が畠山重忠に命じて建久年間(1190-1199)建立したといいます。鶴岡八幡宮の境外末社でしたが、明治42年に独立したといいます。

佐助稲荷神社
佐助稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 宇迦御魂命、大己貴命、佐田彦命、大宮女命、事代主命
相殿 -
境内社 -
祭日 2月初午
住所 鎌倉市佐助2-22-12
備考 -



佐助稲荷神社の由緒

佐助稲荷神社は、源頼朝が畠山重忠に命じて建久年間(1190-1199)建立したといいます。鶴岡八幡宮の境外末社でしたが、明治42年に独立したといいます。

鎌倉市掲示による佐助稲荷神社の由緒

伊豆の蛭ヶ小島に流されていた源頼朝が病に伏していた時、「かくれ里の稲荷」と名乗る翁が夢枕に立ち、平家討伐の挙兵をうながしました。
後に幕府を開いた頼朝は、かくれ里に祠を探しあて、稲荷神社を建てたと伝えられます。幼少のころ佐殿といわれていた頼朝を助けたので「佐助」の名を付けたといわれています。
参道登り口に縁結びの十一面観音が祀られています。(鎌倉市掲示より)

境内掲示による佐助稲荷神社の由緒

相州鎌倉隠里佐助稲荷神社由緒
当社は源頼朝公の再建せし古社にして御祭神は宇加御魂命・大己貴命・佐田彦命・大宮女命・事代主命。
往古頼朝公伊豆蛭ヶ小島の配所にて、平家討伐を日夜念じをりし所、稲荷の大神気高き老翁の姿にて夢に現れ給い、挙兵をうながし、その時期を啓示し給えり。
頼朝公天下一統の礎を固めし後、稲荷神霊の加護に感謝し畠山重忠に命じ、佐介山隠れ里の霊地を選び社殿を造建せしむ。人々の信仰きわめてあつく、出世稲荷としてその御神徳は広く関東一円に拡がりたり。
さらに寛元の頃(十三世紀中)鎌倉に疫病流行せし時、佐介稲荷の大神再び奇瑞を現し給い、霊種をして薬草を生じせしめ病苦の者、ことごとく癒し給いぬ。
以来、神威更にかがやき、商売繁盛、病気平癒、大漁満船、学業成就の霊験顕然たり。(境内掲示より)

新編相模国風土記稿による佐助稲荷神社の由緒

稲荷社
佐介谷にあり。故に里俗佐介稲荷と称す。華光院持なり。建久年間頼朝の勧請と傳ふ。延文4年足利尊氏当社に祈願の事鶴岡等覚院文書に見ゆ。曰凶徒対治祈祷之事、可被致精誠之状如件、延文4年12月21日、佐介谷稲荷社別当三位僧都御坊、尊氏華押。(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による佐助稲荷神社の由緒

社伝によると、伊豆に遠流されていた源頼朝の夢中に、当社の神霊が翁の姿をかりてあらわれ、義兵を挙げ民を安んずべしとの託宣を授けて、旗挙げをすすめた。そして頼朝はその神託により功をおさめた。佐殿頼朝を助けたので佐助というと云い、建久年間(一一九〇~一一九九)源頼朝が畠山重忠に命じて建立させたという。またその時、台と山崎の地を社領として寄進したと伝える。
『新編鎌倉志』には正平十四年(延文四年・一三五九)十二月一日、凶徒退治の祈藤を佐介谷稲荷社別当三位僧都に命じた足利尊氏の古文書が鶴岡等覚院に存したとあり、扇谷の華光院の持分とある。
当社は記録によると古くは鶴岡八幡宮の非常の際の御旅所として同宮の飛地境内末社であった。明治四十二年六月二十六日、末社から独立して無格社として祭祀された。拝殿前に寛政十一年の手洗鉢、本殿前には明治二年黒田家奉納とある灯籠一基がある。(神奈川県神社誌より)


佐助稲荷神社の周辺図


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