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巽神社。鎌倉市扇ガ谷の神社、巽荒神、旧村社

巽神社の概要

巽神社は、延暦20年(801)蝦夷征伐に向う途中の坂上田村麻呂が葛原岡に勧請、永承4年(1049)に源頼義が改築したと伝えられます。壽福寺の南東(巽)に位置することから壽福寺の鎮守として崇められ、巽荒神と呼ばれていたといいます。明治6年には村社に列格していました。

巽神社
巽神社の概要
社号 巽神社
祭神 奥津日女命、奥津日子命、火産霊命
相殿 -
境内社 諏訪社
祭日 例祭日11月28日
住所 鎌倉市扇ガ谷1-9-7
備考 旧村社



巽神社の由緒

巽神社は、延暦20年(801)蝦夷征伐に向う途中の坂上田村麻呂が葛原岡に勧請、永承4年(1049)に源頼義が改築したと伝えられます。壽福寺の南東(巽)に位置することから壽福寺の鎮守として崇められ、巽荒神と呼ばれていたといいます。江戸時代の別当寺は浄光明寺、明治6年には村社に列格していました。

境内掲示による巽神社の由緒

御祭神は竈の神、火の神として霊験あらたかな神で延暦20年坂上田村麻呂東夷鎮換の際葛原岡に勧請したと伝えられる。
永承4年に源頼義が社殿を改築す。
その後(年代不詳)現在の地に遷座された。
古くは壽福寺の鎮守神として崇敬され、その位置が壽福寺の巽の方に当るので巽荒神と称された。
天正19年に社領1貫文を賜った。
近世に至って浄光明寺の持ちとなり、明治6年に村社に列格された。(境内掲示より)

新編相模国風土記稿による巽神社の由緒

巽荒神社
今小路の南壽福寺の巽にあり故に此唱あり。元は壽福寺境内の鎮守なり。天正19年社領1貫文の地を賜ふ。今浄光明寺の持なり。(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による巽神社の由緒

延暦二十年(八〇一)坂上田村麻呂が東夷鎮撫の途上、当郡高原岡に勧請したのに始まり、永承四年(一〇四九)源頼義が社殿を改修したと伝える。その後、寿福寺境内の鎮守として奉斎されたが、再び遷って現在地に鏡座し、この地が寿福寺の巽の方角に当るところから「巽荒神」と称された。近世になり浄光明寺が所管した。天正十九年(一五九一)社領一貫文の地を寄せられたと『相模風土記』に見える。又徳川幕府から朱印地を寄せられた。天保六年二八三五)社殿の改築があり、明治六年村社に列格した。
関東大震災で全潰し、大正十四年修覆された。扇谷区の氏神社である。境内には手洗石(寛文十二年・一六七二)、石灯篭(元禄十年・一六九七)、石造鳥居(文政七年・一八二四)などがある。(神奈川県神社誌より)


巽神社の周辺図


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