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本蔵寺|江戸川区北小岩にある日蓮宗寺院

本蔵寺の概要

日蓮宗寺院の本蔵寺は、晴立山と号します。本蔵寺は、元和八年(1622)浅草新寺町に大雄山本蔵寺と号して創建したといいます。明治43年に、当地にあった晴立寺と合併して当地に移転、晴立山本蔵寺と改称したといいます。当地にあった晴立寺は、正保4年(1647)弘法寺の歴代日晴上人が創建したといいます。

本蔵寺
本蔵寺の概要
山号 晴立山
院号 -
寺号 本蔵寺
住所 江戸川区北小岩3-22-19
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



本蔵寺縁起

本蔵寺は、元和八年(1622)浅草新寺町に大雄山本蔵寺と号して創建したといいます。明治43年に、当地にあった晴立寺と合併して当地に移転、晴立山本蔵寺と改称したといいます。当地にあった晴立寺は、正保4年(1647)弘法寺の歴代日晴上人が創建したといいます。

江戸川区教育委員会掲示による本蔵寺の縁起

日蓮宗の晴立山本蔵寺は、元和八年(1622)浅草新寺町に起立され、京都妙顕寺開基龍華樹院日像菩薩の「像」の一字をもって大雄山本像寺と称し、妙顕寺の末でした。延享二年(1745)の同寺「略縁起」は、加賀中納言前田利光の母寿福院尼が一寺を草創したのがはじまりと伝えています。明治四三年に下総真間山弘法寺末の晴立寺と合併し、晴立山本蔵寺となり、晴立寺のあった現在地に移転しました。晴立寺は、小岩市川関所役人を代々つとめた中根氏の館のあとといわれ、菩提寺と伝えられています。現墓地には、中根平左衛門家の代々合葬墓があります。(江戸川区教育委員会掲示より)

「江戸川区史」による本蔵寺の縁起

本蔵寺(北小岩三丁目二二番一九号)
日蓮宗で晴立山と号し、もとは市川の真間山弘法寺の末であった。正保四年(一六四七)弘法寺の歴代日晴上人が起立した。その関係から歴代の住職は本門寺弘法寺の役職をつとめてきている。始めは晴立寺と称したが明治四十三年に浅草北松山町の大雄山本蔵寺と合併になり晴立山本蔵寺と称し今日に至っている。墓地内に小岩市川関所の番所役人であった中根平左衛の墓がある。(新編武蔵風土記稿より)

当地にあった晴立寺について

(伊予田村)晴立寺
法華宗、下総国葛飾郡真間村弘法寺末、頂栄山と号す。本尊三寶祖師を安す。正保4年弘法寺12世日晴の起立なり。故に此僧を開山とす。寂年詳ならず。(新編武蔵風土記稿より)


本蔵寺所蔵の文化財

  • 木像日朗・日像上人坐像(江戸川区指定文化財)

木造日朗・日像聖人坐像(江戸川区指定有形文化財)

日朗は宗祖日蓮の高弟で、日蓮宗池上門流の祖として知られています。寛元三年(一二四五)下総国平賀(千葉県松戸)に生まれ、日蓮聖人佐渡配流中も鎌倉にあって教えをひろめ、池上に法華堂(現・本門寺)をはじめとする諸寺を創建し、元応二年(一三二〇)入寂、七六歳でした。
日像は日朗の末弟で、文永六年(一二六九)下総国平賀に生まれ、七歳で身延山にて日蓮聖人に給仕しました。上人滅後は、兄の日朗に師事し、のちに日蓮聖人の遺志をたいし、京都で法華経をひろめ、妙顕寺を拠点とする京都日蓮宗の基礎を築いたといわれています。享年七四歳でした。
この両聖人の坐像は京都妙顕寺の旧蔵品であり、天保六年(一八三五)に妙顕寺より下賜されたものと伝えられています。寛永一九年(一六四二)に彩色補修が加えられ、妙顕寺一三世日饒の署名と花押も残っています。製作年代は室町時代と考えられる秀作で、画像とも三五センチメートルの小さな坐像ですが、写実性に富み、高僧の面影がよくしおのばれます。(江戸川区教育委員会掲示より)

本蔵寺の周辺図