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講安寺|文京区湯島にある浄土宗寺院

講安寺の概要

浄土宗寺院の講安寺は、専修山称仰院と号します。講安寺は、慶長年間湯島天神下に創建、元和2年(1616)当地へ移転、昭和3年8月29日、松が谷宗安寺と合併したといいます。講安寺本堂と庫裡は、土蔵造りという防火建築様式を残しており、文京区文化財に指定されています。

講安寺
講安寺の概要
山号 専修山
院号 称仰院
寺号 講安寺
住所 文京区湯島4-12-13
本尊 -
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



講安寺の縁起

講安寺は、慶長年間湯島天神下に創建、元和2年(1616)当地へ移転、江戸後期には、11代将軍徳川家斉の側室お美代の方(溶姫の実母)が明治5年(77歳)まで45年間隠棲していたといいます。昭和3年8月29日、松が谷宗安寺と合併、現在に至ります。

文京区教育委員会掲示による講安寺の縁起

浄土宗の寺院で、慶長期の創建と寺伝にある。宝永年間(1704-1711)に当地に移り、無縁山法界寺と称したが、その後、無縁寺と講安寺に分かれ、無縁坂の由来ともなっている。
山門は簡素な冠木門で屋根は付かない。本堂は外壁を漆喰で何度も塗りこんだ土蔵造りで、屋根は寄棟造りの錣葺で棟を高くしてある。この造りは鍛冶に悩まされた江戸の人々の防火建築の知恵である。寺には4代住職顕誉が防火の戒めの遺言(古文書)が保存されているが「類火は格別、寺内門前共に自火の用心専一に致す可き事」とある。記録によれば元禄16年(1703)から27年間に18回も寺境まで火が来たという。
なお本寺には、11代将軍徳川家斉の側室お美代の方(溶姫の実母)が明治5年(77歳)まで45年間隠棲したという。(文京区教育委員会掲示より)

「本郷區史」による講安寺の縁起

講安寺
湯島兩門町に在り、淺草幡随院末、専修山稱仰院と號す、慶長十一年智恩院一代乗譽東國巡錫の時幕府に請ひ湯島天神下に一宇を建立し僧重達を以て開山としたが、其地元和二年霊山寺の寺域となつたので現地に移つて法界寺と稱し正保二年現名に改めた。本尊立像彌陀は恵心作、伽羅丸木作り長二尺三寸足裏に源信の二字を刻すといふ。泉目吉(通史家斉時代参照)羊遊齋更山(俗稱原粂治蒔繪師弘化二年歿七十四)中根半仙(書家名は容字は公黙、又訒齋、玄石、健徒老人の號あり嘉永二年歿五十二)の墓がある。(「本郷區史」より)

御府内寺社備考による講安寺の縁起

浅草幡随院末 湯島不唱小名専修山称仰院講安寺、境内拝領地2100坪
慶長11年8月5日
神君様御代京知恩院御一代城誉上人下向之時御公儀ニ而
酒井雅楽頭殿湯島天神下ニ而寺地拝領仕仰付。
台徳院様御室様御局氏部郷殿純白紅霊山寺境内相成為、替地安藤対馬守殿寄合之上元和2年8月22日只今之寺地拝領仕候。
開山向蓮社廻誉重達正保3年8月19日遷化。
本尊阿弥陀如来、伽羅木立像長2尺3寸恵心僧都作。
稲荷社。以上丙戌書上(御府内寺社備考より)

合併した宗安寺の縁起

増上寺末 浅草新寺町厭離山欣求院宗安寺
境内古跡拝領地930坪内門前町家有之
拙寺起立慶長9年本郷2丁目ニ而寺地拝領、其後明暦3年於当所替地拝領仕候。
開山円蓮社戒誉上人尊光和尚、元和7年8月25日卒。
仏間。本尊阿弥陀如来坐像丈2尺恵心之作。観音勢至、両祖師。
鎮守幾千代稲荷大明神。
宝物。1.善光寺如来本田善光一代絵伝記。以上乙酉書上(御府内寺社備考より)


講安寺所蔵の文化財

  • 講安寺本堂と庫裡(文京区指定文化財)

講安寺本堂と庫裡

本堂は、社寺建築でありながら土蔵造りである。寺伝にいう宝永5年(1708)から、かりに寛政元年(1789)頃にさがっての建立であったとしても、江戸の町で普及した土蔵造りという防火建築が、多くの災害にあい、また、建て替えられるという歴史的推移のなかで、残ることのできたことは、貴重である。
特に、寺院の住居部分は、改築や新築が頻繁で、昔の姿で残るのは極めて珍しい。ここは幕末(寄進札に文久元年1861年)のものとはいえ、客殿、庫裡が残り、江戸期の形式をよく保存している。さらに、寺門は戦後再建されたものであるが、旧形式が保たれている。
寺門、本堂、客殿や庫裡に至るすべてが旧規をよく保存し、まれにみる第1級の文化財といえよう。(文京区教育委員会掲示より)


講安寺の周辺図



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