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幡随院|小金井市前原町にある浄土宗系単立寺院

幡随院の概要

浄土宗系単立寺院の幡随院は、神田山新知恩寺と号します。幡随院は、演蓮社智誉向阿幡随意上人白道和尚が徳川家康の招きにより慶長8年(1603)神田駿河台に新知恩寺と通称して創建、元和3年(1617)池之端へ移転、万冶2年(1659)浅草へ再転、延宝年間(1673-1681)浅草幡随院と通称したといいます。開山の演蓮社智誉向阿幡随意上人白道和尚は、館林善導寺、和歌山万性寺などを開山、熊谷寺を中興したという高僧です。関東十八檀林の一つとして、数多くの末寺を擁していました。台東区の区画整理に伴い、昭和15年当地へ移転しました。

幡随院
幡随院の概要
山号 神田山
院号 幡随院
寺号 新知恩寺
本尊 阿弥陀如来像
宗派 浄土宗系単立
住所 小金井市前原町3-37-1
葬儀・墓地 -
備考 一般の参拝不可



幡随院の縁起

幡随院は、演蓮社智誉向阿幡随意上人白道和尚が徳川家康の招きにより慶長8年(1603)神田駿河台に新知恩寺と通称して創建、元和3年(1617)池之端へ移転、万冶2年(1659)浅草へ再転、延宝年間(1673-1681)浅草幡随院と通称したといいます。開山の演蓮社智誉向阿幡随意上人白道和尚は、館林善導寺、和歌山万性寺などを開山、熊谷寺を中興したという高僧です。寺領50石の御朱印を拝領、関東十八檀林の一つとして、数多くの末寺を擁していました。台東区の区画整理に伴い、昭和15年当地へ移転しました。

「小金井市史」による幡随院の縁起

幡随院
(所在地)前原町3-37-1。 浄土宗京都知恩院の末寺。はじめ、神田山新知恩寺と称した。智誉幡随意白道を開山とする。慶長15年(1610)神田駿河台に建立。のち元和2年(1616)湯島天神男坂下板倉備中守邸内に移り、さらに明暦3年(1657)正月の振袖火事で焼け、浅草神吉町に、その後に昭和14年(1939)現在地に移転した。本尊阿弥陀如来を安置する。広大な寺域に散在する諸堂宇と手入れの行き届いた庭園は美しいたたずまいを見せている。(「小金井市史」より)

御府内寺社備考による幡随院の縁起

京都知恩院末浅草不唱小名
神田山新知恩寺幡随院、境内拝領地八千二百五拾九坪
御朱印寺領五拾石
慶長八癸卯年最初起立之地者神田台、云新知恩寺今駿河台也。元和三巳年下谷江転地池之端錦袋円近処、板倉家屋敷際ニ今幡随院井戸有之と云。当院第二世阿誉随巌和尚代下谷、云新知恩寺。万治二乙亥年浅草江移。今之寺地也。当院第六世岳誉感随和尚代浅草、云新知恩寺。延宝年中当院第九世連誉長林和尚代、新知恩寺之通称を願改而浅草幡随院と通称仕候。
開山演蓮社智誉向阿幡随意上人白道和尚、生国ハ相州藤沢大場庄善行寺村之人、姓者川島氏、父者川島七党之魁也。然二夫婦憂無子、折熊野権現ニ、婦夢ニ大熊化して為宝珠、飛而人口と見て、有孕。満月天文十一壬寅年十月十五日誕生也。幼少にして投玉縄之二伝寺、範誉上人剃髪受戒。其後謁鎌倉光明寺第十五世法誉上人、伝法授受。天正三年上州館林之城主榊原式部大輔康政帰依上人、草創善導寺、上人為開山。天正十年移住越後国高田善導寺。時に有一女、容顔端厳也。告上人日、我是当国青柳池ニ住竜女也。我に有三熱苦報、願書上人苦を脱し玉へ。依之上人説法勧戒授布薩一乗大戒血脈法号授与玉誉妙龍。其比密宗僧徒恨上人、證城主上杉氏輝虎欲図之。其時依竜女之吉謀、赴信州。然二数日霧雨して筑磨川増水、絶通路。時に竜女悠然として現水上、上人と共ニ渡渡。逆浪恰も如陸路行。
神君様御帰依不浅、蒙 上意、於所々法問講釈仕候。然二慶長七壬寅年京知恩寺江住職被仰出候。其節申上候者、関東二罷在候所化を指南仕度奉存候。乍恐御免被成下候様中上候得者、重而上意ニ者、其段者意敷心得ニ候。増上寺存応著紫衣、其方者香衣、笑止二候。先知恩寺江致住職、着紫衣、継目御礼罷下り候ハヽ、其節江戸ニ而寺致建立、着紫衣、可致住職旨被 仰出。依之難有御請申上、知恩寺江住職仕、賜紫服、朝 鳳闕、参 仙洞、浄家之秘蹟演説仕候。慶長八年復被 召関東、御約束之通於神田台寺地拝領、諸役竹木等永御免除。依 上意新知恩寺之額を掛ケ、一代紫衣着用仕候。為普請料、従神君様白銀拾貫目、従台徳院様米三百俵拝領仕候。慶長十二年春神君様於御城中浄家俊秀を集、試難易二道之対論、上人を推為義龍。慶長十六年勢州山田郷二退隠仕候。同十八癸丑年九州肥前之国吉利支丹発興之砌、源君雖有可制之勢、耶蘇之習不厭遇苦難。故以法力教示せんには不如、誰堪其任乎衆議一般、幡随意当其器。依之 幕下遣御近士、被 召幡随意、被仰出候者、対治邪法若用兵戈、雖尽人民難亡之。伝聞国有邪法、則憑仏法之護持。其方乍老体、速二彼地江罷越、仏法弘通、可令対治之と蒙上意。御手自ら蜀錦之御陣羽織と金之御団扇を項戴仕候。東都を発足仕、先邪宗退治為祈願伊勢太神宮江七日参篭。満日二至り御長壱尺弐寸之弥陀之像を感得ス。従夫到摂州。幕下邪党之上人を害せん事を恐慮したまひて肥前国日之江ノ城主有馬氏直純に命して外護とす。相共に乗船して直純之館二到着。同所於三福寺夢中感得之霊像を安置し、企四十八日之別時念仏、教化するに往生拾因を以ス。有馬長崎其外処々説法勧戒仕、殊二邪宗之徒頭と対論致問答、尽粉骨。経二ヶ年邪徒悉退治、令帰依仏法。帯御威光国之難を鎮め申候。城主直純上人を帰依して観三寺草創して上人を為開山。従夫帰帆之砌、紀州若山江罷越、万性寺を建立。同寺ニ而遷化す。元和元年正月五日、世寿七拾四歳。
辞世偈曰
白道運歩数十年以火消火難思妙術
邪宗退治帰関不仕故、勲功之御験者無御座候。

御朱印寺領
右は当院第拾四世厳誉固及和尚代、開山之由緒奉申上候而拝領仕候。
常憲院様御朱印之写
幡随院領武蔵国豊島郡下村之内五捨石之事。
延宝三年被寄附之訖。全可収納。并院中門前諸役等永免除不可有相達者也。仍如件。
貞享二年六月十一日
御朱印
右は
厳有院様御代、延宝三年寺領五拾石拝領仕候。御書出シ被成下候へとも御朱印者頂戴不仕候。其復員享二年奉願候而頂戴仕候。
厳有院様御代御書出之写
一、五捨石、武州豊島郡下村之内
右之所、従当卯年物成新知恩寺江被下候間、可被相渡候。御老中御証文者御勘定所ニ差置候ニ付如斯ニ候。以上。
延宝三卯年十二月
武庄右衛門判
糸勘兵衛判
大酒右衛門判
桜藤兵衛判
能武左衛門判
青助太夫判
佐主馬判
野村彦太夫殿
右者寺社御奉行本多長門守殿、新知恩寺江直ニ御渡被成下候。
一代紫衣綸旨賜り候節之下知状
右者第廿二世礼誉了碩和尚、寛延三年当院ニ而両紫衣項戴仕候。尤当宗門ニ而新ニ紫衣項戴仕候得は、直参内可仕ニ付、此段御願申上候へ者、直参 内ニ不及、使僧ニ而可済旨被仰渡候ニ付、則御奉書頂戴、使僧ニ而両紫衣論旨項戴仕候。
幡随院了碩事、其身一代紫衣被
仰付候。勅許候様、伝奏衆迄
可被申人候。恐々謹言。
寛延三庚午年十二月十九日
松平右近将監
本多伯書守
酒井左衛門尉
堀田相模守
松平豊後守殿
右御奉書、寺社御奉行大岡越前守殿幡随院江御渡し被成下候。
本堂、梁間拾二間桁行拾三間。
右は建立以来度々類焼仕候。元禄十四年従桂昌院様、辰ノ三月十八日御金三百両、同年八月十六日千両、巳ノ七月十一日三百両、同十月廿一日二百両、都合金千八百両、四度二頂戴仕、致再建候。其後度々類焼仕候得共其時之形御座候。
本尊阿弥陀如来、座像長二尺六寸恵心僧都作。
栴檀林之額字知恩順直大僧正筆
大鐘、差渡五尺三寸長九尺。(中略)

什物
一、御幡御紋附、十流
一、御水引、一掛け
一、御打敷、三枚
一、御桧重、壱組
右四品は従桂昌院様入仏之節、福井殿御代参ニ而御寄附有之候。
一、神君様尊影
一、阿弥陀如来木像、立像長壱尺六寸慈覚大師作。
一、不動明王木像、立像長三尺弘法大師作。
一、二祖対面木像、立像長四寸斗円光大師作。
一、開山襟掛本尊、三尊ニテ、中尊丈八分斗、至テ小像ニシテ長壱寸六分斗ノ蓮花ノ中ニ彫付ク。
一、開山鏡之像、座像長四寸斗開山上人自作。
一、名号、開山上人筆。
一、天狗之爪、長一寸余中巾七分斗色薄黒。
一、鬼之牙、長五分余三本アリ。
一、龍女鱗、一寸余、四方御紋付、唐真チウ、香合ノ如キ物ニ入リ有之、色薄黒赤。
一、伽羅木弥陀立像長三寸
一、放光明之舎利。
右之外什物類数多御座候。

開山堂、梁間三間桁行六間。開山之厨子并戸張葵御紋付
桂昌院様御寄附
開山像、長弐尺七寸座像
右者開山上人命仏工令造。開眼之砌以竹箆打之、三下喚而幡意与云。像無答。即以鉄槌破却之。依之彫刻する事三度、如前喚之。三度目之像忽点頭す。是我真影なりと被残置故点の像と云。
相殿王誉妙龍、厨子并戸張葵御紋付。桂昌院様御寄附。
幡随意額字

鎮守熊野権現社
神体丈四寸、安阿弥作。

三社堂。秋葉、稲荷、弁天。

石塔名号、長七尺、横三尺。
風雨ニ不濡故、世二不濡之名号と云。当院二世阿誉随巌上人筆。

龍水井戸。
本堂西之方二有之。開山上人竜女ニ血脈授、布施之水なり。碑銘有之、前に出す。

阿弥陀堂、二間半四方。
阿弥陀如来、立像長三尺恵心僧都作
相殿釈迦如来、立像長三尺運慶作。

薬師堂
薬師如来、立像丈五尺定朝作。
古へハ弥陀堂の近辺に有之候て、此時ハ弥陀堂・薬師堂と申庵室弐軒ニ御座候。尤当寺此所へ引移不申以前より有之候て、全くハ地主なりと申伝へ候。然る所薬師堂ハ安永年中願によって即連社と相改め、別院申付有之候処、寛政二成年中門前学寮空地江引移、当時所化伴頭職にて兼帯為相勤申候。起立之年号相知不申。開祖草連社真誉浄心、天和三七月晦日卒。
十二神。(御府内寺社備考より)


幡随院の周辺図

参考資料
  • 「小金井市史」
  • 御府内寺社備考