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慈照院|文京区小石川にある曹洞宗寺院

慈照院の概要

曹洞宗寺院の慈照院は、梵音山と号します。慈照院は、中山五平次(法名大巌院石翁道基居士)が開基、白眼慈雲大和尚が開山となり寛永8年(1631)創建したといいます。

慈照院
慈照院の概要
山号 梵音山
院号 慈照院
寺号 -
住所 文京区小石川4-12-6
本尊 釈迦牟尼佛像
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



慈照院の縁起

慈照院は、中山五平次(法名大巌院石翁道基居士)が開基、白眼慈雲大和尚が開山となり寛永8年(1631)創建したといいます。

「小石川區史」による慈照院の縁起

慈照院
梵音山慈照院。曹洞宗、千葉縣総寧寺末。本尊は観世音菩薩及び釋迦牟尼佛である。當寺の開創は寛永八年で、開山は白眼慈雲和尚(貞享元年二月廿八日寂)である。開基中山五平次勝信(傳通院殿の姉の孫)が、其姉慈照院月舟道清大姉(寛文二年五月一日卒)の後生安楽の爲めに建立した寺院で、文政年代には境内年貢地六百坪、寄附地九十七坪、外年貢地百十坪を有つてゐた。現本堂は寺傳によれば、寛永草創當時のものといふ。境内には傳通院前の茶漬屋辰巳屋惣兵衛の墓がある。惣兵衛は江戸の祭禮には必ず出たと云はれる人で、墓石の正面に娘に扮した老人が振袖姿で踊つてゐるところが刻んである。(「小石川區史」より)

東京名所図会による慈照院の縁起

慈照院
慈照院は久堅町四十六番地にあり。梵音山と號す。曹洞宗にして小日向総寧寺の末なり。秋季には門内木芙蓉等の花開き景致甚だ風雅なり。當寺は寛永八年辛未の草創にて。開山は白眼慈雲大和尚。開基は中山五平次。法號大巌院石翁道基居士とす。小石川志料に。當寺の過去帳を引て云。慈雲和尚者為慈照院殿帰依僧。依之中山五平次殿草創當院以為開山
寛文三癸卯五月朔日
慈照院殿月舟道清大姉
中山主水殿祖母
辰巳屋惣兵衛の墓(省略)(東京名所図会より)

慈照院所蔵の文化財

辰巳屋惣兵衛の墓

江戸中期の遊侠人で、本名は平井辰五郎(1733-1821)と言った。
伝通院門前に居住して、茶漬け飯・田楽豆腐屋を開業した。しかし、店は家人に任せ、もっぱら、遊侠の生活にふけっていた。
辰五郎は生来、踊りが好きで、若い頃から暇をみては、踊りに時を費やした。特に、踊りの名声を高めたのは、女装して面白おかしい所作をとりいれてからである。
天明8年(1788)には、「仮面」をつけて踊る「狂言神楽」(里神楽と類似型)を創案し、江戸市民の人気をあつめた。
山王権現社神田明神社のほか、江戸市中の各神社の祭礼での活躍は言うにおよばず、大名邸での宴会の余興にも招かれるようになった。そのような時、自分は遊戯のために踊るのであり、利欲のためでない、と言って金銭を受けとらなかったという。
「お祭と神楽の堂に辰巳屋の枯木娘や花咲かせ爺」蜀山人(太田南畝)(文京区教育委員会掲示より)


慈照院の周辺図



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