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山王日枝神社|千代田区永田町の神社

山王日枝神社の概要

山王日枝神社は、千代田区永田町にある神社です。山王日枝神社は、鎌倉時代初期に江戸太郎重継が居館に日吉の大神を勧請したことにはじまるといいます。文明年間(1478頃)には太田道灌持資が城内に、更に天正18年徳川家康が入府し江戸城内の紅葉山に新社殿が造営されました。徳川家光の代に半蔵門外に遷座、萬冶2年振袖火事のため当地へ遷座しました。徳川家光の代には朱印地600石を賜っています。また日枝・山王まつりは、神田まつりと共に天下祭・御用祭として華麗豪壮、正に天下随一と言われます。明治時代には准勅祭社・官幣大社に定められ、現在では東京十社の一つに定められています。また、山王日枝神社が執り行う山王祭は、日本三大祭・江戸三大祭りのひとつに数えられます。

山王日枝神社
山王日枝神社の概要
社号 日枝神社
祭神 大山咋神
相殿 国常立神、伊邪那美神、足仲彦尊
末社 日枝神社、山王稲荷神社、八坂神社、猿田彦神社
住所 千代田区永田町2-10-5
備考 准勅祭社、官幣大社、東京十社、山王祭



山王日枝神社の由緒

山王日枝神社は、鎌倉時代初期に江戸太郎重継が居館に日吉の大神を勧請したことにはじまるといいます。文明年間(1478頃)には太田道灌持資が城内に、更に天正18年徳川家康が入府し江戸城内の紅葉山に新社殿が造営されました。徳川家光の代に半蔵門外に遷座、萬冶2年振袖火事のため当地へ遷座しました。徳川家光の代には朱印地600石を賜っています。また日枝・山王まつりは、神田まつりと共に天下祭・御用祭として華麗豪壮、正に天下随一と言われます。

境内掲示による山王日枝神社のの由緒

鎌倉の初期秩父氏の流れ重継は江戸太郎を名乗りその館の中に日吉の大神を勧請した。降って文明年間(1478頃)足利の宰相太田道灌持資が城内に、更に天正18年徳川家康が入府し江戸城内の紅葉山に新社殿を造営した。
徳川三代家光は一般市民の参拝の便を企るため半蔵門外に遷座、朱印地を600石に加増、四代家綱の代、萬冶2年振袖火事のため永田町溜池に臨む景勝の星ヶ岡に遷座、現在に至る。
歴代の将軍世子の社参絶えることなく、都度神馬・太刀(国宝)等を献じた。(宝物殿に出陳中)
山王日枝神社の日枝・山王まつりは、神田まつりと共に天下祭・御用祭として華麗豪壮、正に天下随一と称えられた。
明治維新、遷都により江戸城は明治天王皇居(宮城)となり、当神社は皇城の鎮守神として官幣の大社に列した。(山王日枝神社境内掲示より)

末社、山王稲荷神社の由緒

祭神 倉稲魂神
例祭4月下午の日
稲荷の大神は生成発展・商売繁盛の守り神として全国に祀られ、ここ永田馬場星が岡の地主神として松平主殿頭忠房の邸内に祀られ、特に火伏せの信仰が篤く、萬冶2年4月本社山王権現が麹町より移遷されるに至り、境内末社となった。

末社、八坂神社の由緒

祭神 素盛鳴神
例祭6月7日
日枝大山咋神の祖父神、もと京橋南伝馬町の牛頭天王として、三ヶ町の鎮守で大伝馬町、小舟町と並び江戸三天王と称された。明治19年7月、末社猿田彦神社内に相殿神として奉斎された。今に祇園八坂信仰は商業・農業の守護神、病気退散の信仰が篤い。

末社、猿田彦神社の由緒

祭神 猿田彦神
例祭初庚申の日
萬冶2年、御本社山王権現と共に奉祀されたと伝えられ、御祭神は”道ひらきの神”として、また里俗の説に”山王のお使い”即ち神猿とも言われる。


山王日枝神社所蔵の文化財

  • 日枝神社拝殿(国指定重要文化財)
  • 刀剣31口(国宝1口、国重要文化財14口、重要美術品1口)
  • 山王稲荷神社拝殿(千代田区指定文化財)
  • 狛犬(千代田区指定文化財)

山王日枝神社の周辺図


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