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妻恋神社|文京区湯島の神社

妻恋神社の概要

妻恋神社は、文京区湯島妻恋坂にある神社です。妻恋神社の創建年代は不詳ですが、日本武尊の東征のおり、三浦半島から房総へ渡るとき、大暴風雨に会い、妃の弟橘姫が身を海に投げて海神を鎮め、尊の一行を救ったことを慕い、妻恋神社として創建したといいます。境内社の妻恋稲荷神社は、関東総司・妻恋稲荷として有名で、王子稲荷と並んで多くの参詣者を集めたといいます。

妻恋神社
妻恋神社の概要
社号 妻恋神社
祭神 倉稲魂命、日本武尊、橘姫命
相殿 -
境内社 妻恋稲荷神社
祭日 例大祭3月10日
住所 文京区湯島3-2-6
備考 妻恋稲荷



妻恋神社の由緒

妻恋神社の創建年代は不詳ながら、日本武尊の東征のおり、三浦半島から房総へ渡るとき、大暴風雨に会い、妃の弟橘姫が身を海に投げて海神を鎮め、尊の一行を救ったことを慕い、妻恋神社として創建したといいます。境内社の妻恋稲荷神社は、関東総司・妻恋稲荷として有名で、王子稲荷と並んで多くの参詣者を集めたといいます。

「本郷區史」による妻恋神社の由緒

妻戀神社
妻戀町八番地に在り、倉稲魂命、日本武尊、橘媛命を祀り磐裂神、磐筒男神、根裂神、磐筒女神、経津主神及徳川家康を合祀し明治四十一年八月に金刀比羅大神を合祀した。往古日本武尊東征の時行營に倉稲魂命を祀りしに創まるといふ。初め今の天神町一丁目(元妻戀)に在り、萬治中今の地に移り妻戀稲荷社と號した。明治五年十一月村社に列した。祭日は三月上午である。(「本郷區史より)

文京区史跡さんぽ実施報告書による妻恋神社の由緒

江戸時代から神社に伝わる木版刷りの由緒物「夢枕」の図柄はめでたい宝船と鶴亀の2種あって、正月二日の夜、絵を枕の下に敷いて寝るとよい初夢を見るといわれている。
この神社の祭神は倉稲魂命・日本武尊・橘姫命の三神で、関東総司・妻恋稲荷の名で有名で、王子稲荷と並んで参詣人が多かった。
記紀によると、その昔、日本武尊が東征のとき、東京湾上で大暴雨に会い、妃の弟橘姫が身を海に投じて海神を鎮めて尊一行を救った。その途中湯島に滞在し、行宮としたので、郷民はゆかりのある日本武尊を祭り、妻を恋い慕うという意味で、妻恋明神と名づけたといわれている。(文京区史跡さんぽ実施報告書より)

文京区教育委員会掲示による妻恋神社の由緒

妻恋神社と夢枕
その昔、日本武尊の東征のおり、三浦半島から房総へ渡るとき、大暴風雨に会い、妃の弟橘姫が身を海に投げて海神を鎮め、尊の一行を救った。
途中尊が、湯島の地に滞在したので、郷民は、尊の妃を慕われる心をあわれんで、尊と妃を祭ったのがこの神社の起りと伝える。後、稲荷明神(倉稲魂命)を祭った。
江戸時代、妻恋稲荷と呼ばれ、関東惣社と名のり王子稲荷神社と並んで参詣人が多かった。また、正月二日の晩に枕の下に敷いて寝ると、よい夢を見るという由緒物の木版刷りの「夢枕」が売り出された。
”お宝お宝”と大音声に呼ばわったり”(宮島五丈原)「福寿鶴亀」と「七福神の乗合宝船」の二枚の夢枕は、万治年間(1658-61)に創案され当社が版権を所有していた。版木は、戦災で焼けたと思われていたが昭和52年12月摺師の家で見つかった。
幻の夢枕は、関係者によって日の目を見て、売り出されるようになった。(文京区教育委員会掲示より)

妻恋坂について

大超坂・大潮坂・大長坂・大帳坂と別名を多く持つ坂である。
「新撰東京名所図会」に、「妻恋坂は妻恋神社の前なる坂なり。大超坂とも云ふ。本所霊山寺開基の地にて、開山大超和尚道徳高かりしを以て一にかく唱ふといふ」とある。
この坂が「妻恋坂」と呼ばれるようになったのは、坂の南側にあった霊山寺が明暦の大火(1657年)後浅草に移り、坂の北側に妻恋神社(妻恋稲荷)が旧湯島天神町一丁目あたりから移ってきてからであろう。(文京区教育委員会掲示より)


妻恋神社の周辺図



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