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蘇我比咩神社|千葉市中央区蘇我の神社

蘇我比咩神社の概要

蘇我比咩神社は、千葉市にある神社です。蘇我比咩神社は、日本武尊命が東国遠征の際に亡くなった蘇我氏の姫(比咩)の霊を慰めるため、応神天皇が蘇我氏を下総国造に任命、蘇我氏の氏神である春日神社、比咩神社を祀り創建したといいます。延喜式神名帳にも名神小社として記載される古社で、天正19年(1591年)には徳川家康から社領10石の御朱印状を拝領、明治5年には郷社に列格していました。

蘇我比咩神社
蘇我比咩神社の概要
社号 蘇我比咩神社
祭神 天照皇大御神、蘇我比咩の大神、春日大明神、応神天皇、千代春稲荷の大神、御霊の大神
相殿 -
末社 大三輪神社、大山阿夫利神社
例祭日 10月
住所 千葉市中央区蘇我2-2-7
備考 旧郷社



蘇我比咩神社の由緒

蘇我比咩神社は、日本武尊命が東国遠征の際に亡くなった蘇我氏の姫(比咩)の霊を慰めるため、応神天皇が蘇我氏を下総国造に任命、蘇我氏の氏神である春日神社、比咩神社を祀り創建したといいます。延喜式巻九神祇神名帳にも名神小社として記載される古社で、天正19年(1591年)には徳川家康から社領10石の御朱印状を拝領、明治5年には郷社に列格していました。

「稿本千葉県誌」による蘇我比咩神社の由緒

蘇我比咩神社,千葉郡蘇我町大字曾我野字中宿に在り,境内四百九十九坪、祭神及び鎮座年月詳ならず。延喜式載する所の古社にして上代には千葉一郡の総鎮守たり、天正十九年徳川家康十石を寄附す、明治五年三月郷社に列せらる。文化年中火災に罹り社殿神器及び別当寺院焼失し爾来舊観に復せず。明治三十九年十二月幣饌料供進指定。(「稿本千葉県誌」より)

「下総国旧事考」による蘇我比咩神社の由緒

蘇賀比咩神社
神名帳考證土代云、賀古寫奉作我。在蘇我野村。神名式千葉郡二座、並小。蘇賀比咩神社是也。而未知為何神、土人称春日明神。祭日九月十九日。別当春光院新義真言宗、隷千葉寺村千葉寺。社領十石、天正十九年辛卯十一月付。(「下総国旧事考」より)

蘇我比咩神社栞による蘇我比咩神社の由緒

当社は、今から千五百年前から建てられていたといわれている。
古記によりますと、第十二代景行天皇の皇子であらせられた日本武尊命が東国地方を統一すべく勅命を受け弟橘姫を始め多数の家来を引きつれ軍船に乗りて、千葉沖に差しかかったとき、風雨が強くなり船は進まず沈没の危険にあった。このとき弟橘姫は「龍神の怒りに触れた」とこれを静め和げんと同道して来た五人の姫達と共に身を海中に投じた。そして日本武尊命は、無事航海をつづけた。身を投じた五人の姫の中に蘇我大臣の娘たる比咩がおり、この方がこの下の海岸に打ち上げられた。里人等の手厚い看護で蘇生することが出来た。そして無事に都に帰ることが出来ました。又里人達は日本武尊命が日嗣の皇子でありながら東征の途中にて崩ぜられ皇位を継承するに及ばなかった事を聞き及んでその霊をなぐさめんと社を建て神として祭った。この里人等の行為に深く感激した第十五代応神天皇は、特別の命により蘇我一族をこの周辺の国造として派遣し政治をおこなわせた。蘇我一族は、代々「春日神社」「比咩神社」を守護神としており、両神社の御分霊をいただき「蘇賀比咩神社」を建立した。「延喜式巻九神祇神名帳千葉郡記載。」その徳は山より高く海より深く「春日様」「下総の国香取神明様」と下総の国の守護神として人々に敬神された。江戸時代には、徳川家康も敬神され一〇石を献上した。この所は江戸又上総、香取への街道の要所にもあたり参勤する大名また人々の集まる宿場町であったため参詣する賑わいをみせた。
明治五年社格郷社となり皇室国家の守護となり皇族の尊宗をうけ参拝もあり、御手植の松もありましたが、明治の大火事で神社も社宝、古文書、御手植の桧すべて焼災してしまったが今もって海難防止、民政安定、家運繁栄、五穀豊穣、諸病消除、延命息災など神威をこよなくあらたかな神として近隣の人々に敬拝されています。(蘇我比咩神社栞より)


蘇我比咩神社の周辺図


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