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養福寺|荒川区西日暮里にある真言宗豊山派寺院

養福寺の概要

真言宗豊山派寺院の養福寺は、補陀落山観音院と号します。湯島円満寺の木食義高(享保3年没)によって中興されました。荒川辺八十八ヶ所霊場7番、豊島八十八ヶ所霊場73番、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場27番、東京三十三観音霊場28番札所です。

養福寺
山号 補陀落山
院号 観音院
寺号 養福寺
住所 荒川区西日暮里3-3-8
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 墓苑募集中
備考 荒川辺八十八ヶ所霊場7番、豊島八十八ヶ所霊場73番、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場27番、東京三十三観音霊場28番



養福寺の縁起

養福寺は、元和6年(1620)法印乗蓮が創建、湯島円満寺の木食義高(享保3年没)によって中興されたと伝えられます。もと田端東覚寺末、明治43年に離末の後与楽寺末となっていました。

新編武蔵風土記稿による養福寺の縁起

養福寺
新義真言宗田端村東覚寺門徒、補院山観王院と号す。中興は湯島円満寺住職木食義高なり。本尊弥陀。寺寶に台徳院殿御筆の色紙あり。伝来詳ならず。右の如し
いかへにむかし むすべる契にて この世にかかる 中の隔り
天神社。
諏訪社。
観音堂。春日作の如意輪観音、弘法大師作の十一面観音、慈覚大師作の正観音を安置す。
鐘楼。享保2年鋳造の鐘を掛く。
仁王門。(新編武蔵風土記稿より)


養福寺にある荒川区登録文化財

  • 養福寺仁王門(指定)
  • 木造ニ天王像(広目天・多聞天)
  • 庚申塔2基(元禄15年□月8日銘他)
  • 談林派歴代の句碑
  • 江戸四国二十七番札所碑

養福寺仁王門

養福寺は補陀落山観音院と号し、真言宗豊山派に属しています。開創の確かな年代はわかりませんが、初代住職という乗蓮は寛永3年(1626)に没したと伝えられています。
この仁王門は山門を入り、正面右寄りにあります。もとの本堂や観音堂などほかの建造物は戦災で失われましたが、宝永年問(1704-1711)建立と伝えるこの仁王門は焼失を免れて、江戸期の木造建造物として現在に残ったものです。
門の表側には仁王像一対があり、一つは口を開いて「阿」、一つは口を閉じて「呼」を示しています。仁王像は分身して一対になり、仏法を守護するといわれ、各地の寺々にも多くみられます。また、門の裏側には四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天) のうちの二天(広目天・多聞天)の像があります。(荒川区の文化財より)

養福寺と文人たち

養福寺は真言宗豊山派の寺院で、補陀落山観音院と号し、湯島円満寺の木食義高(享保3年没)によって中興されたという。江戸時代、多くの文人たちが江戸の名所である「日暮里(ひぐらしのさと)」を訪れ、その足跡を残した。なかでも養福寺は「梅翁花樽碑」「雪の碑」「月の碑」などからなる「談林派歴代の句碑(区指定文化財)」や、江戸時代の四大詩人の一人、柏木如亭を偲んで建てられた「柏木如亭の碑」、畸人で知られた自堕落先生こと山崎北華が自ら建てた「自堕落先生の墓」などさまざまな文人の碑が残る寺として知られている。(荒川区教育委員会)


養福寺の周辺図


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